藤木 英幸 氏

藤木 英幸 氏

働くということの意義を感覚的につかんでいた学生時代

 学生時代は、今の自分に繋がるような貴重な経験をたくさん積むことが出来たのではないかと思います。たくさんのアルバイト経験を通じて、働くということの意義を当時から感覚的に掴んでいたような気がしますし、二ヵ月間ですがハワイ校への留学も経験しました。留学時は、毎日が自炊での生活。仲間と共に寮生活のようなスタイルで生活も勉強も共にする、という初めての経験をしました。週末の休みには仲間みんなが色々な情報を持ち寄り、安くて楽しいところを探しては出かけて行ったのを今でも思い出します。

 関西外大に行ったことで海外への憧れは人一倍強くなりました。卒業してからずっと英語を使って仕事をしていたという訳ではありませんでしたが、結果的に今、言葉の壁を破ろうという所にまた戻ってきたのかな、という気がします。

男40歳にして立つ

卒業後、新卒で電子部品の商社に入社し、半導体の世界に出会いました。日本的で、ある意味居心地の良い会社でしたが、成果 実績によって評価が決まる会社ではなかったため、7年間の勤務の後、自分自身の力を試すために米国系半導体メーカーへ移りました。シリコンバレーで勤務をしていた当時は、ざまざまな国籍・人種の人たちに囲まれた環境での毎日。あたかもスタートレックの宇宙船エンタープライズ号にいるような気分を味わうことができる環境でした。カンファレンスに参加しても、さまざまな異なる言語を母国語としている人たちが、みんなクセのある英語で堂々と話していて、私自身もジャパングリッシュで仕事をしながら、共通語である英語でみんなと意思疎通を図る、という貴重な経験をしました。また、そこには日本の大手電機メーカーの技術者も多数出入りしており、多くの技術者たちと交流を深めることで人脈も自然と拡がっていきました。その人脈の広さも評価され、ある時、日本の半導体メーカーから「資金と設備を提供するから半導体の設計子会社をやらないか」と誘いを受け、半導体設計子会社の経営者に就任することになりました。その後は、さらに広い範囲での設計・開発を志し、ちょうど40歳になる2000年、同社の従業員たちと共に今の会社を創業することになりました。

 思い返すと“起業意識”は新卒の頃からありました。『たこ焼き屋』でも『花屋』でもなんでも良かったんですが、とにかくゼロから自分でビジネスを立ち上げたかった。ちょうど携帯電話の普及期にあたる今から15年程前、当時はまだ無機質な電子音しかしなかった着信音の時代に、着信メロディとう発想を生み、これはビジネスになるぞ、と思いました。そして『男40歳にして立つ』と起業しました。

言葉の壁を技術の力で突破したい

 ドコモの『しゃべってコンシェル』の音声認識をはじめとして、さまざまなサービスを立ち上げていますが、最近は特に音声認識の多言語化、翻訳・通訳のビジネスへもチャレンジしています。社名の由来にもなっている「FUN(楽しく)、USEFUL(便利で)、EASY(簡単な)な商品をTrek(追求する)」という想いのもと、ビジネスの拡大に努めています。

 何とか言葉の壁を技術の力で突破したい、というのが今の仕事の目標ですね。さまざまな言語の壁を、ソフトウェア+ビッグデータの力を借りながら、夢の翻訳装置を作っていきたい。例えば、フェイスブックやLINEなどSNSは現在世界中と繋がっているにもかかわらず、日本語で書き込みをすると日本人以外はまったく理解できない。だから読んでももらえない。でも、日本語で書いていても英語を母国語とする人が見れば英語表記されたらどうでしょう。フランスに行けば、自動的にフランス語表記されるなら・・・。母国語が違っても、世界中の人とリアルタイムにコミュニケーションができる、そんな夢の技術を追求していきたいですね。

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人の意見を聞き、自分の意見を持ってしっかり話せること

最近はTOEICやTOEFLの点数が、就職の条件になったりもしているようですが、英語の点数が高い、英語が話せる、ということ自体を社会は求めていません。
重要なのは、人の意見を聞き、自分の意見を持ってしっかり話せることです。また異文化に対しての適応力があるかどうか、というのが、大変重要な要件になってくると思います。

掲載:平成26年9月

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