酒井 宏 氏

酒井 宏 氏

「毎日のおかずを通じて食卓に笑顔を届けていきたい」と語る酒井社長。理に適ったアメリカ式の考え方に惹かれ、大学時代にこの道に進もうと決意した若き日の酒井氏は、どのような人物だったのだろうか?
関西外大時代の思い出や、現在のご活躍にいたるまでのさまざまなご経験や仕事に関する考え方について、お話を聞かせていただきました。

海外への憧れがきっかけを作った運命的な食肉業界との出会い

私が生まれたところっていうのは、本当に三丁目の夕日に出てくるような商店街の中の小さなお肉屋さんでした。ちょうど僕が小学校ぐらいの時代に牛肉の消費が非常に伸びてきて、同時に難波の外食産業もどんどん成長してきました。それに合わせてうちの肉屋も配達もするようになってきたんです。当時、中学生でしたが、配達したり肉を仕込んだりしてから学校に行くのがすごく嫌だったのを覚えています。何で自分だけこんなことしないといけないんだろうって。それが嫌で一日も早く家を出たかったのもあるんですけど、仕事のせいか家族揃っての団欒ってあんまりなかったんです。だから、海外の番組なんかみてるとアットホームな感じがして、すごく憧れてましたね。中学3年のときに一ヶ月だけ海外研修に行ったんですけど、それをきっかけに思いが一層強くなって。それで高校からはアメリカの学校に行きたいって親に言ったんですけど、「肉屋に英語はいらん」って即却下です。それからも諦めきれないでいろいろ調べたら、国が支援してくれる留学制度があることが分かりました。それでテストを受けてパスして、アルバイトして貯めていたお金で行くことに決めたんです。

留学先の希望はカリフォルニア州だったんですけど、なぜかアメリカミネソタ州のセントポールというところに留学が決まりました。でも、今から思うと運命を感じますね。アルバイトをしようと思って知人にお願いしたところ、たまたま紹介してもらった先が世界一の穀物会社のカーギルという会社だったんです。穀物会社と聞いてたんですが、実際に行ってみたら父親の店の仕入先とか知っている名前が出てきました。そこで初めて肉も扱っている会社だということが分かったんです。その時に目からウロコだったんですけど、日本の肉屋と違って考え方がすごく理に適っているんです。日本の場合、大きな肉の問屋でも塊を買ってきてから始まるんですけど、アメリカの肉屋はエサから始まるんです。エサの穀物相場によって、牛の増体率を計算して値付けをするんです。日本の場合は穀物相場というよりは、目で見て高いものは高く売ろうという考え方ですよね。そのあたりが全く違っているし、面白いなって思ったんです。肉屋も捨てたもんじゃないなって思いはじめたのは、この時だったと思います。

テニス一色だった学生時代でも、楽しくなったのは最近です

大学も海外の大学に行きたかったんですが、それだけは親がどうしても許してくれませんでした。結局、関西外大に入ることになったんですけど、今思うと僕の大学時代の思い出はテニス一色でしたね。 僕のいた4年間は過去最低ってくらいすごく弱かったんですけど、それでも当時のクラブの練習はすごく厳しかったのを覚えています。試合の度に授業を欠席して、よく先生からは怒られてましたし、一回戦で負けると丸坊主にされたりとか、何かこういう思い出が多いですね。でも、やっぱりテニスが好きだったんだと思います。今でも週に3回はしてますし、何より今は楽しいですから。(笑) さらに、当時は体育会本部にも入り、フレッシュマンキャンプや学祭、スキーツアーなど、大学のイベントの運営もしましたね。体育会本部のメンバーとの絆はかなり強くて、今でも時々連絡を取り合ったりしています。大学でこういった仲間ができたことはすごく大きいですね。

このような感じでしたので、勉強に関しては良く卒業できたなっていうくらい全く駄目でした。だから、今までテニスで遅れていた分を取り返すために、4回生になってからは誰よりも授業に出ていましたね。専攻していたスペイン語を落とし続けてたので、4回生で1~7まである講義に全部出てたのは僕だけじゃないかと思います。当然一回生で受ける授業もあったので、後輩も一緒の授業に出てるんですよ。会うたびに大きな声で挨拶されたりして、すごく恥ずかしかった思いをしたのを覚えています。でも、そのおかげで最後には成績が上がってましたね。その後、何とか卒業できることになって進路を考えなくてはいけなくなったんですけど、その頃はもう、肉の業界でやっていこうって決めていましたから、全国食肉学校に進むことにしたんです。

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テニス部時代

肉のスペシャリストとしての目標 それは大手食品会社に一歩でも近づくこと

全国食肉学校、商社を経て、今の会社に入社しました。肉屋に英語は必要ない、と言っていた父も、これからは輸入牛肉の時代だと分かったようです。息子としてではなく、輸入牛肉を分かっている私を必要としてくれていることが分かりましたので、入社を決意しました。

その後は、とにかく販売チャネルを増やすことに力を入れました。今、うちの会社全体の40%を占めるまでになった生協の共同購入も、実は私が営業して始まったんです。そこから大きくなって、北は北海道から南は沖縄まで、日本でナンバーワンのシェアにまで成長しました。今まで下請け専門だった食肉業界の中で、各社へ提案を持ち込み、うちが主導でプレゼンできるようになってきていることが、やはり大きいですね。このようなプロが食肉業界では少なかったですし、今なお日本の食肉業界は職人さんに毛が生えたような会社が多いのも実情です。だから、今の目標は、大手の食品会社のレベルに一歩でも近つけることですね。

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さまざまな分野で利用される商品の数々

同窓会発足を契機に懐かしい面々と連絡をとるようになりました

同窓会の発足を機に、実は昔の懐かしい仲間たちと久しぶりに連絡がとれるようになりました。本当に数十年来会っていなかった懐かしい面々とも再会できましたし。なかなかこういう機会がないとお互い連絡を取り合うことが少ないんじゃないかと思いますね。これからは、ますます同窓会が発展して、このような機会が増えることを期待したいですね。

掲載:平成22年7月

酒井 宏(さかい こう)氏 プロフィール

大阪市出身。高校在学時にアメリカのミネソタ州に留学。留学中に世界最大の穀物会社であるカーギルでのアルバイトを通じて食肉業界の魅力を実感。帰国後、関西外大入学。卒業後、全国食肉学校、イトマン株式会社を経て、ニッシン・グルメビーフ株式会社へ入社。2005年4月社長に就任。

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最上級のお肉ではなく、庶民の毎日のおかずを中心とした商品ラインナップを展開。アメリカの工場をモデルにした松山の工場では、厳しい検査基準のもと、常に一定した品質の商品を出荷。 特に生協向け商品においては全商品に月毎に変わるレシピがついており、調理が手軽な上、栄養素を考えているアイディアレシピは主婦に定評がある。

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