高野 弘 氏

高野 弘 氏

水に惹かれて飛び込んだ世界

自然豊かな高知で育ちました。幼少の頃から親しんだ雄大な土佐の海と川。今の私を育てた原流点です。故郷の町「須崎市」を流れる清流「新荘川」(しんじょうがわ)でアユを追いかけた楽しさが今も続き、カメラで国内外の水中と水辺を訪ねる原動力になっています。新荘川は、ニホンカワウソが最後に撮影された場所で有名です。子供の頃、あの泳ぎの速いアユを巧みに捕える動物に感心したものです。当時からカワウソは県下の河川で姿を消しつつありました。残念ながら2012年に絶滅種に指定されました。

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高知で撮影のアユ

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清流、「新荘川」

二つの日本万博が発展のプラットホーム

大阪万博が開催された1970年に関西外国語大学に入学、英米文学科で学びました。日本全体を魅了したこの万博には、世界各地から人々が集まり、格好の英会話の実践場でした。会期中、7回訪ねましたが、毎回10個の文章を覚え、様々な国々の人たちに話しかけました。貧弱な会話力でしたので勇気も必要でした。もちろん、間違いを恐れる気持ちも。でも根っからチャレンジ精神が多かったのでしょうか、海外の人たちと接する機会を楽しみました。会期終了時までには、70個以上の文章を覚え、英会話上達に手ごたえを得、喜びを感じていた当時です。その後、2005年に、「愛知万博(愛・地球博)」が開催されましたが、各国の開会式が開催されるEXPOホールで、60分の単独公演をする機会がありました。経験した2つの万博は、一つは学生の私、もう一つは、歌う水中カメラマンとしての私でしたが、いずれも刺激的で、その後の発展に続くプラットホームでした。夢と希望は持ち、描き続けるものですね。

英会話サークル「Torch-トーチ」

大阪万博が終わりに近づく頃、学内に英会話サークルを立ち上げました。当時は、ESSやIGC(通訳ガイドクラブ)が人気でしたが、別の流れを選択しました。同好会は数名の仲間からスタート。一回生の私がメンバーをリードする責任もありましたが怖さ知らずで始めました。後述する欧米遊学の旅までには、メンバーも増え、30名ほどに。三回生の時、運命とも言える出来事が起こりました。米国ウィスコンシン州の大学教授の皆様をメインとした、20名ほどのFaculty Memberが大学を訪問。そのお世話役として在校生から数名が選ばれ、私もその中の一人に。そして、アートを専攻された教授で、David K. Runyon氏との出会いのご縁で、米国訪問が大きく前進したのです。

父の他界をバネに、米国訪問!

海釣りやタコ捕りが好きな父は、幼い頃から私を水辺に誘ってくれました。そして高知の海を前に、海外へ行ったことのない父は、海外を語ってくれました。7つ上の兄は東京の大学でESSに所属。3つ上の姉は、関西外大の短大へ。海外への思いを育んでくれた父は、三回生の時に他界しました。父の死は、私の海外渡航のバネとなり、大学を1年休学。カメラとギターを持って、初めての海外渡航となる北米に旅立ちました。在学中は趣味でギターを弾き、オリジナル曲を歌っていました。同級生など数名でアマチュアバンドを組み、わずかでしたがラジオやTVにも出演。海外での滞在中、現地の方々との親睦を深めることができたら、と渡米の際、ギターを持参したのですがこれが役立ちました。

渡米先は米国北部、ウィスコンシン州。東京からハワイを経由し、ロサンジェルス空港に到着したものの、ウィスコンシン州への乗継ぎ便に不覚にも乗り遅れたのです。原因はヒアリング力の貧弱さ。ネイティブのトークが速く、聞き取れなかったのです。翌日の便でなんとか現地に到着。同級生が留学していたウィスコンシン州立大学スーペリア校のゲストルームでしばらく宿泊。同大学では、当時、関西外大国際課の山本一氏も短期留学で勉強されていました。「高野君、準備が多く授業についていくのは大変や!」と英語の堪能な氏が真剣な顔でコメントしてくれたのを覚えています。山本氏はその後母校の国際化に大変貢献されています。

目の不自由な女性の一言で、生涯歌を続ける決心へ

さて、ジャーナリストを目指していた私は、せっかくの機会でもあり、地元の新聞社訪問や、学校、施設での慰問コンサートの機会を地元の方々の協力でいただきました。ある日、目の見えないご婦人方を前に歌った後、一人の女性が、「私は目が見えないが、あなたの声と歌でパーソナリティがわかります。」と思いを伝えてくれました。この言葉で、私は一生音楽を続けようと決心したのです。そして思わぬチャンスが舞い込んできました。

ウィスコンシン州最大のラジオ局に出演

欧米と日本の建築様式をアートの視点で研究されていたDavid K. Runyon氏は、州都マディソン近郊の美しい湖畔に建つ家で家族とともに住んでいました。しばらくホームステイをさせていただいたある日、「WIBAラジオ放送局への出演が決まったよ!」とビッグサプライズ。聴けば、同放送局はウィスコンシン州最大のラジオ局で、しかも、午後8時から10時までの2時間をトーク&ライブに充ててくれたのです。本番では、担当DJが「日本から訪問のジャーナリストを夢みる青年が歌い語ります」とスタート。未熟な会話力ではありましたが、2時間の間に、オリジナル曲を歌い、訪米の目的や夢を語りました。ラジオを聴かれるリスナーからの質問や印象なども電話回線経由でいただき、それは貴重な体験となりました。WIBA局は今でもマディソンにあり、大きく発展しています。

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WIBAラジオ出演風景:右は担当DJ

欧州ヒッチハイクの旅、マフィアの車であわや!

ビザの関係で、2ヶ月を過ぎる前に一旦米国から国外に出る必要がありました。そしてこの機会にシカゴから大西洋を越え、アムステルダムへ。ここから本格的なヒッチハイクの旅が始まりました。ベルギー、ドイツ、スイス、ギリシャ、スペインなど約8カ国を2ヶ月かけて回りました。ギターを手に、キャスターが一個なくなったスーツケースを引きながらの一人旅。不思議とまったく不安はなく、目に見えるもの、体験するもの全てが新鮮で刺激的でした。イタリアでの体験はきわどかったかも知れません。止めた車の方々がマフィアの一員だったのです。しかも幹部。車二台の先頭車は若い夫婦、後方の車にはそのご両親。地元のシチリア島から来た、と若主人。「シチリア島、知ってる?」と訊かれ、「マフィアが有名ですね!」と私。「そう、私たちもメンバーです。」それを聞き、ヒッチハイクのお礼に車内でオリジナル曲を歌い続けました。気に入ってくれたのか、「これからフランスの国境に近いレストランで、あなたのコンサートを開くのでよろしく!」と現地へも電話連絡。しばらくして到着したレストランにはステージが用意され、緊張した店員の皆さんの雰囲気から判断して、「間違いなく、マフィアのメンバーだ!」と確信。30分のステージが無事終わると、同じ車でフランスの国境まで送ってくれた上、当時の通貨フランスフラン5千円相当を手渡してくれ、無事開放に。歌は様々な場所で私を助けてくれます。

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欧州ヒッチハイクの旅。オーストリアのJenbackにて。右手にギター、左手には、パンとメガネ。セルフタイマーで撮影。シンプルな旅でしたが、気分は最高!一人旅。

再び渡米、帰国そして卒業

再訪したマディソンでは、2回目のWIBA局での2時間公演が待っていました。欧州でのヒッチハイクの体験、滞在中に作った新曲など、20曲を歌い、語りました。そして、帰国。「水」を舞台にしたジャーナリストへの想いをもって、4回生に復学。そして、卒論は、「世界通信社とその役割」をテーマにしました。当時のUPI、AP、ロイター含む世界通信社や共同通信など海外、国内から資料を入手、英文50Pでまとめ、無事卒業。

就職は、大阪府・大阪市・大阪商工会議所・JETROで構成の(社)大阪国際見本市委員会に入社。国際部に所属し各国の政府参加誘致など国際業務の仕事と、「水」のジャーナリストへの夢を手に準備を重ねながら、20年後、同委員会を退社。独立後、世界に発信できるコンテンツの必要性を強く感じ、写真や映像を専門としたアクアイメージ社を設立。水中・水辺のフォトジャーナリストとして、今に至っています。

地球環境が大きく変化する中、「水」がますます注目されてきました。写真や映像そしてオリジナル曲の弾き語りで展開する「高野弘フォトコンサート」を通じて国内外の「水の恵みと環境」の発信に今もなお、輝きを絶やさぬトーチのようにチャレンジを続けています。

掲載:平成25年8月

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フィリピン・ボラカイ島

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ニューカレドニア・離島ノカンウィ

撮影・文 高野 弘

高野 弘 (たかの ひろし)氏 プロフィール

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北米シアトル大学内チャペル公演風景

水中・水辺のフォトジャーナリスト、(有)アクアイメージ代表。「水」をテーマに撮影を続け30年。水の恵み、自然環境、水辺の旅、都会と水辺、生命など取材・撮影。フォトエッセイ他、執筆多数。また、写真や映像、オリジナル曲の弾き語りで展開する「高野弘フォトコンサート」を愛・地球博、世界水フォーラムなど国内外で展開。また、マレーシア政府観光局やベルギー・フランダース政府観光局など在日観光局主催のイベント公演も。
公益社団法人日本写真家協会会員・日本旅のペンクラブ会員

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