芳島 昭一 氏

芳島 昭一 氏

社会人として必要な資質を身につけたクラブ活動での経験

 学生時代、特に力を入れたのは通訳ガイドクラブ(IGC)における活動です。清水寺を初めとする京都や奈良の代表的な神社仏閣や、日本の文化などについて調べ、それらを英語で表現できるように悪戦苦闘していた日々が懐かしく思い出されます。また、当時、部員数が100名を超えていた同クラブの合宿場所を探したり、合宿地となるホテルや旅館などと交渉したりといった役割を担う副部長も務めさせていただきました。ビジネススキルなんて皆無だった学生が、旅行会社やホテルの担当者と交渉するわけですから、言葉遣いや交渉の場での作法など知らないことばかり。結果、恥ずかしい思いもたくさんしましたが、あの頃に社会人として必要な多くのことを学ばせていただけたように思います。今でも、政府関係者等と協議する際、当時学ばせていただいたことを思い出すことがあります。

努力を重ねるルームメイトの姿から多くのことを学んだ留学時代

 在学中は留学も経験しました。交換留学生としてアメリカに派遣されたものの、当初、リスニング力もスピーキング力もまだまだ未熟だったため、しばらくは授業中に先生や学生が話している内容が殆ど理解できず、発言を求められても満足に話すことさえできませんでした。このような状況でしたので、最初の数か月間は自室、教室、図書館のトライアングルから抜け出すことができず、辞書を片手に分厚いテキストと格闘したり、レポートを書くことだけに時間を費やす日々を過ごしていました。そんな日々を送る中で、「ただ勉強するだけなら日本でもできる。せっかくアメリカに来ているのだから、週末だけは現地の友人たちと楽しむ時間を作ろう。」と決意しました。それからは、アメリカ人や世界各国から来ている友人たちとパーティーに出かけたり、キャンプに行ったりして生活にメリハリをつけるようになりました。そうこうしているうちに英語力も向上し、少しずつ留学生活を楽しむことができるようになってきました。

 また、ルームメイトとの出会いが、留学時代の大きな収穫だったと思っています。サンフランシスコ出身のアメリカ人である彼は、高校時代はカリフォルニア州の競泳自由形のチャンピオンであり、アンカーを務めたリレーでは全米チャンピオンになったほどのスイマーでした。大学水泳部でも大活躍し、頻繁にテレビのスポーツニュースで取り上げられるほどの選手でしたが、早朝から深夜までひたすら努力を重ねる彼の姿からは、非常に多くのことを学ばせてもらいました。彼とは今でもFacebookを通して連絡を取っていますが、現在はスイミングクラブのコーチを務めていて、マスターズ水泳では幾つかの種目で全米No.1の記録を持っています。そんな彼からは、今でもいい刺激をもらい続けています。

約25年間の国際協力業界での経験

 仕事は元々求人情報誌の営業マンをしていたのですが、外務省在外公館派遣員選考試験に合格し、在フィジー日本国大使館に派遣されたのをきっかけに、外務省本省(国際協力局政策課等4部署)、国際NGO(ザンビア駐在)、JICA(長短期含めてインドネシアに計10回赴任)など、海外と日本を行ったり来たりしながら、約25年間国際協力業界で働いてきました。国際協力の仕事に本格的に取り組んだのは32歳の時。青年海外協力隊員としてインドネシアの農村開発に携わったのがきっかけですが、その後は、インドネシアの地域総合開発プロジェクト、貿易センター設置プロジェクト、総選挙実施支援プロジェクト、貧困削減プロジェクトなど、JICA専門家やチームリーダー、マネージャーとして働き、水道も電気もない貧困村での生活にどっぷり浸かりながらのトイレ・井戸作りの仕事から、JICAボランティアに対する語学訓練のマネージメントや、現地における活動調整業務、国内外の中央・地方政府役人や大臣・副大臣等との協議に明け暮れる仕事まで、さまざまな業務を通して多くのことを学ばせていただきました。

 また、これまで主に海外と東京(約2年間は大震災後の福島県)で過ごしてきましたが、卒業後に滞在した国は、仕事ではフィジー(2年半)、ザンビア(2年半)、インドネシア(合計約8年間)、その他バックパッカー等として28ヶ国を訪問して海外の現状を把握するように努めたりもしました。また、国際協力や国際関係につき体系的に学ぶために、東京外国語大学大学院地域文化研究科国際協力専修コースに進学し、40歳で「国際学」の修士号を取得。その後はイギリスに留学もしました。

「開発」ではなく「難民支援」に携わりながら生きていきたい

 これからも引き続き途上国で「開発」の仕事をしていこうと思っていた頃、有り難いことに幾つかの組織からインドネシア、ベトナム、タンザニア等におけるポストに声をかけていただきました。しかし、1枚の写真を目にして以来、その光景が頭から離れなくなり、どうしても難民の方々のために働きたいという気持ちが抑えられなくなってしまいました。そして、その時に声がかかっていたポストのお話しを全てお断りすることにしたのです。その1枚の写真とは、世界中に衝撃を与えた、あのトルコ沿岸に漂着したアイランちゃんの写真…。小さな子どもがいる自分にとっては非常にショッキングな写真でした。ああいう悲劇に見舞われている方々は、この瞬間にも世界中にたくさん存在し、毎日急激に増え続けています。そして、爆撃や迫害などから自分や家族の命を守るため、着の身着のまま住み慣れた家や生業としていた仕事、生まれ育った国までをも捨てて国境を越えざるを得なかった難民の方々は、直ぐにでも支援の手を差し伸べなければ亡くなってしまうかも知れません。そう考えるようになると、これからは「開発」ではなく「難民支援」に携わりながら生きていきたいと強烈に思うようになりました。

 とはいえ、インドネシア(今年1月末までの2年間ジャカルタ勤務)から帰国するタイミングで難民支援に関われる仕事って何があるだろう?そう思っていた中、以前から興味があり時々チェックしていた国連UNHCR協会のHPで、たまたま同日にアップされた関西エリア担当マネージャーの募集記事を発見したのです。家庭の事情を考えても関西で働くのがベストであり、関西では数少ない国際協力系の仕事で尚且つ難民支援!このポストは何としてでもゲットしたい!という思いで応募し、有り難いことに採用していただくことができました。

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金銭的な豊かさと、心の豊かさは違う

 他の先進国と比べると、残念ながら日本では、難民の方々に支援の手を差し伸べたいという方が非常に少ないのが現状です。現場で募金活動をさせていただいている際、ブランド物で着飾ったいかにも裕福と思われる方々が全く興味を示さずに素通りしていく中、こんな言い方は失礼かもしれませんが、左右のレンズをセロテープで留めたメガネをかけているような、決して裕福とはいえない年配の女性が、非常に熱心に難民の方々が置かれた状況に関するお話を聞いてくださることがありました。「自分の生活も苦しいけど、1日1本の缶コーヒーを我慢したら、自分でも月3,000円は寄付できるわ。難民にならなあかんかった人たちのことを考えたら、そんなん我慢のうちにも入らんけど、自分のちょっとの我慢でひとりでも多くの難民を救えるんやったら、死ぬまでやらせてもらうわ。」とご支援者様になっていただけたのです。他にも同じようなエピソードはありますが、金銭的な豊かさと、心の豊かさは違うということを、現場に出るたびに実感しています。

 6月20日の「世界難民の日」に国連から発表された全世界の難民の数は「6560万人」。日本の人口の半数以上にあたる方々が難民生活を送られている現在は「戦後最悪の人道危機」と言われる時代ですが、残念ながら日本人の多くはそれを認識していません。そんな難民問題に関しては非常に意識の低い日本において、出来るだけ多くの方々に難民の方々が置かれた窮状を知っていただき、一人でも多くの日本人に難民の方々の支援者になっていただけるよう、日々の仕事に取り組んでいきたいと思っています。

自国の歴史や文化を知ることは重要

 国際協力というと「ボランティア」というイメージを持っている方が多いと思いますが、当然のことながら「仕事」なので、民間企業等でも求められるビジネススキルは必須です。政府関係者や国連機関、NGO等と仕事をする際に、プレゼン能力や文書作成能力、コミュニケーション能力などを含めたビジネススキルがなければ話になりません。ですので、国際協力業界で活躍したいと思っている方には、先ずは民間企業に就職し、徹底的にビジネススキルを鍛えることをお勧めします。そのうえで、青年海外協力隊員等として途上国の現場で活動しながら現地の状況を五感で掴む体験をし、その後、途上国の現場で持った問題意識を元に大学院で専門知識を身につけてから、国際協力業界に就職するというキャリアパスがベストのように思います。その時には既に30歳を超えていますが、一見すると遠回りに見えるこういったキャリアパスが国際協力業界では一般的であり、また、途上国等のために「いい仕事」をするためにも必要な経験です。国際協力業界では、日本では一般的な考え方である「大学・大学院を卒業したらそのまま就職して同じ企業に定年まで勤める」という考えを捨てた方がいいと思います。

 また、国際協力業界に限らず、海外で働くことを目指す方には、日本に関する知識もしっかり身につけていただきたいですね。これは個人的な反省でもあるのですが、自国の歴史や文化、社会情勢等、自分が生まれ育った国のことをあまり理解しておらず、説明もできないとなると、それができるのが普通である海外の方々から信頼を得ることができない場合があります。まだまだ若いみなさんの可能性は無限大。未来に向かって頑張ってください!

掲載:平成29年7月

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