林 謙二 氏

林 謙二 氏

決して忘れられない学生時代の出来事

外大在学中には実に色々なことがありましたが、その中でも、一生忘れることのできないのが、私が空手道部3回生幹部の時の出来事です。当時の空手部は、まだ練習道場を与えられておらず、天気のいい日はグラウンド、そして、雨の日は校舎と校舎をつなぐ長い渡り廊下での練習が日課となっていました。

ある雨の日のことでした。前半の練習を終え、5分間の休憩で一息ついていたところ、ある学生が泥まみれの長靴で、のしのしと泥跡をつけながら私たちの目の前を歩いていきました。渡り廊下といっても、私たちの練習場所であり、1回生が練習前にはコンクリートの床を掃き清め、必要であればモップ掛けもするほど私たちにとっては神聖な場所です。そんな場所を土足で汚しておきながら、何も言わず立ち去ろうとする学生に対し、とっさに静止するように叫びました。すると、その学生は驚き、持っていた教科書を放り出すと一目散に走って逃げ出しました。私はすぐに、後輩にその学生を連れてくるように命じました。そして、20分ほど経ったころ、後を追いかけた一回生たちが、その学生を捕まえて戻ってきました。その後、この間の事情を全く知らなかった私は、その学生に対して1回生に命じて罰を与えました。

しかし、その日の練習後、1回生から報告がありました。その学生は逃げる途中、悲鳴を上げながら事務局へ飛び込み、ある教授に泣きついたとのことでした。そこで追いついた空手部の1回生たちが教授に事情を説明。教授は学生に「逃げ出してくるのはまずい、大丈夫だから行ってきなさい」と送り出したようでした。それを知らず、私は罰を与えるように命令したのです。大丈夫と言ったにもかかわらず空手部が罰を与えたということになれば、その教授は面子をつぶされたことになります。私や罰を与えた1回生の責任が問われるのは必定、最悪の場合、“空手部暴力事件”として教授会にかけられ、退学、そして部の存続にも大きく影響を与えかねません。

思えば高校時代に羽目を外してしまい、親に対して「大学に行かせて下さい」とも言い出せず、受験費や学費の捻出のために1年間浪人して毎日鉄工所と図書館の往復でやっとの思いで入学した大学でしたので、ここで退学になるわけにはいかない、と諦めきれない思いがあったのも事実です。

ハートのある学長の審判

空手部の懇親会で、学長(故総長)以下、事務局の方々と懇意にさせていただいたこともあり、このことを一刻も早く相談しようと、早速、学長宅を訪問することにしました。学制服姿の私たちの訪問に、一瞬何事かと驚いたご様子でしたがが、すぐに学長と奥様(現理事長)が笑顔で迎え入れてくださいました。そして、事情を話したところ「臨時教授会があることは聞いていますが、内容までは聞いていませんでした。その臨時教授会は明日です。事情はよく分かりました。明日の教授会には私も必ず出席して、できるだけのことはしましょう。」と仰っていただきました。

そして、翌日の夕方、改めて学長室へ。みんな緊張した面持ちで、審判の時を待ちました。私の心臓は今にも破裂するかのような高鳴りをしていたのを覚えています。しかし、しばらくすると、にこやかな表情で学長が入ってこられました。

「実にさまざまな意見が出ましたが、私は、この問題に関しては、私が知る限りでは双方に落ち度があるように思いました。被害者の学生も精神的ショックは大きかったようですが、幸いケガもなく、当事者の空手部員も事情を知らずに軽率な行動を取ったことを深く反省しているようです。しかも、これだけの人数の確たる運動部であるにも関わらず、いまだに練習場を与えていない大学側にも責任があると思いました。だから、この問題は、もっと深く真の原因を究明する必要があると判断し、私預かりにさせてもらいました。」と学長は話してくれました。この言葉を聞いた瞬間、大粒の水滴が私の頬を伝わって流れ落ち、しばらくの間、じっと上を向いていたのを今でもよく覚えています。

卒業後、スペインに渡ってから二度大学を訪問しましたが、残念ながら学長にお会いする機会はありませんでした。そして、つい3~4年前、偶然舞い込んできた関西外大同窓会の情報誌によって、その学長の旅立ちを知らされ、とても胸が痛みました。

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▲谷本学長を訪ねて妻子と母校を訪問した様子が当時の外大通信で紹介されました

卒業後、渡西して開いた空手道場

関西外大卒業と同時に身体一つでスペインに渡り、その1週間後には空手道場のアシスタントの仕事に就きました。なぜ、卒業と同時にスペインに渡ったのかと聞かれることが良くありますが、人と違ったことをすることに興味があったからだと思います。スペイン語を選択したこともしかり、空手を武器とし、空手を踏み台にし、空手を通行手形として何の束縛もなく、世間のしがらみも全くない自由な世界で自分の思い通りに生きてみたい、そう思ったからです。正直、食べるのに苦労し、小鳥用の細かい米粒を食べていた時期もありました。小鳥屋の店主いわく、「たくさん小鳥がいるんですね~。」「・・・。(苦笑)」それに、道場の運営方法その他について道場主と口論の末“クビ”になり、雇われ師範の哀れさと愛弟子たちと別れる辛さとに涙を流したこともあります。その苦い経験を踏まえ、何が何でも成功してやるんだ、という強い気持ちで踏ん張り、気が付くと、3年後には弟子のスペイン人たちと共同経営で道場を設立するまでになっていました。それからの1年、2年は順調に弟子の数も増え、経営もうまくいき、あたかも順風満帆であるかと思いきや、3年目を迎える寸前、急に共同経営を行っていた私以外の両者間の雲行きが怪しくなってきました。このままの状態が続けば道場として成り立たなくなり、大勢の弟子たちが路頭に迷うことになりかねません。そこで、自分自身の道場を持つことを決意することになります。

当時、町のごんたくれ(不良少年)たちに、「お前たち、飯だけは食わせてやるから、道場作りを手伝え」、と言って7人のスタッフを集めました。しかし、当の彼らはといえば、おおちゃくで仕事もせず、一日中ブラブラしていてとても一筋縄でいくような連中ではありませんでした。そこで、何とか早く彼らの中に溶け込み、彼らに仲間意識を持ってもらおうと、ともに飲み、ともに食べ、ともにディスコで騒ぎました。そうこうしているうちに、彼らのリーダー格が「空手を習いたい」と言い出しました。そこで、「空手の五条訓を守るなら弟子にしてやる」という条件を出すと喜んで納得してくれました。そして、他の連中も、その後は「オッス、センセイケンジ」と言ってなんでも素直に言うことを聞いてくれるようになりました、おかげで時間はかかりましたが、約三ヶ月後、立派な“富士空手道場”が誕生しました。

現在、道場設立から31年経ちますが、この命がある限り、一生涯続けていこうと思っています。女房(メルセデス、3段)の協力のもとに。

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富士空手道場

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    2006年8月 愛知県西尾市「天満宮」にて
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    2006年8月 熊本での「空心会世界大会」
    妻、型の部優勝(下段2人目)

大切なファミリーを守るため、第二・第三のライフステージを開拓

道場の運営を行いながら、私自身、日産のバルセロナ工場(従業員約3千人)にも、61歳になるまでの25年間、通訳兼コーディネーターとして勤務しました。今はもう引退をしていますが、時折要請が来ると断るわけにもいかず、依頼を受けた時期は実際目が回るほどの忙しさになりますが、持ち前のガッツで頑張って乗り切っています。

がむしゃらに歩んで来た人生ですが、私にもたくさんのファミリーが出来、子どもたちが成長するとともに、少し余裕も出てきました。そこで、その大切なファミリーを守るために、新しいビジネスにもいろいろとチャレンジしはじめています。

その手始めとして、2015年2月、レストラン“日本(nippon)”を長男とともに作りました。作りました、という言葉に違和感を覚える方もいるかも知れませんが、文字通り全てが手作りのお店です。業者に頼むと、高い、下手、おまけに追加請求も来る。そんな不愉快な思いをするくらいなら、時間がかかっても自分たちで作ろう、と決心して2014年の7月半ばに着手、サマーバケーションも返上して朝から夜遅くまで長男と二人でトンカチトンカチやりながら約半年かけて完成にこぎつけました。そして、2月の初旬にオープン。おかげさまで開店以来、夜は予約しないと席が取れないほどの大繁盛ぶりです。

当面の目標は、早く長男一人で切り盛りしていけるようになってもらうことです。

さらに、次男もレストラン“日本”で寿司マンとして働いていますが、2015年6月からは、彼と共同経営でマイクロカー(日本の軽よりもっと小さい二人乗りのかなり希少価値の高い車)の販売をしています。彼がネットその他で出物を見つけ、二人で見に行き、値切って現金で買い取り、知り合いの業者に塗装修正をさせ、再度ネットに乗せるというものです。今までに十数台手がけましたが、利益が大きく上がるわけではないものの、結構面白い仕事だと感じています。

Happy Familyを維持していくための方策として、まだまだやりたいプロジェクトはたくさんあります。これからも、色々なチャレンジを行い、海外で頑張る姿を発信していきたいと思っています。

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    レストラン「日本(nippon)」店内の様子
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    「日本(nippon)」で働く現在のクルー(ウエイトレス2人)

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ファミリーの集合写真、サンホアン祭り、飲んで食べて花火を出して一晩中踊り明かす日
(この中に、長男、勇一32才、長女、香織30才、次男、大介25才、がいます、さてどれでしょう?)

最後は思いの強さが勝敗を決める

「一度決めたら、どこまでも」「やるっきゃないさ」「やると思えばどこまでやるさ」「何が何でも勝たねばならぬ」巷には「やる気」を起こさせてくれる言葉があふれています。折に触れ口ずさんでいれば、多少は奮起することができるかな?? 常に何に挑戦するにしても、人任せにせず、自分を信じ自分を裏切らない事です。A'NIMO AMIGOS!!

掲載:平成28年11月

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