水野 明洋 氏

水野 明洋 氏

ESS部長として、役員メンバーと協力し、各種イベントの企画・運営に邁進

在学中はESSに在籍し、2回生で議長、3回生では部長を務めました。当時のESSの部員数は約250名。その部員たちをとりまとめながら、各種イベント(レシテーションコンテスト、スピーチコンテスト/ディベート大会、他大学とのディスカッション、春/夏合宿等)を、役員メンバーと協力しながら企画・運営しました。

この当時の活動は、非常に多くの事を学ぶ機会を与えてくれたと思っています。時には、如何にすれば目標に向けて部員間がベクトルを集中させ、目標を達成させることができるのか、というマネジメントについて学んだり、また、他大学とのディスカッションの時には、テーマを決めて英語で議論を行う(テーマ:安楽死・南北問題等)のですが、他大学に勝つために、本を何冊も読み、自分の考えをまとめると同時にそれを英語で説明する力を養う事ができました。

『目標を達成するため、如何に組織をまとめいくか』、『相手に理解してもうらうために、如何に論理的な説明ができるか』これらのテーマは、実社会においても重要な課題であることは間違いありません。私自身、学生時代のさまざまな経験を通じて身に付けてきたこれらの力が、社会に出てからもとても役立っていることを実感しています。

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先輩からのアドバイスを受けて決意した、自動車メーカーへの入社

もともと旅行が好きだったこともあり、最初は旅行会社を希望していましたが、ある日、自動車メーカーに勤務している外大の先輩から、『自動車メーカーは工場の設備入れ替え等で1週間の連休休暇が年数回あるから、自動車会社に勤務したとしても、十分旅行を楽しむ事が出来るよ』というアドバイスの言葉をもらったことで、私の進路は大きな方向転換をすることになります。学生時代からHONDAの2輪のファンで、本田宗一郎という人間が好きだったこともあり、海外展開をしていたHONDAに入社して、海外で夢に向かって働いてみたい、という思いに至るのに、時間はかかりませんでした。

そして、いざ、入社に向けた3次面談となる最終試験を迎えた時、英語での質疑応答に続き、私が第二外国語でスペイン語を勉強していることを応募書類で確認した試験官に、「スペイン語で何でも良いから話してください」と言われました。私自信、スペイン語の習得レベルが低く、最低限の自己紹介ができるくらいの暗記しかしていませんでしたので、自己紹介を3分程度行ったところで、もう、それ以上話すネタがなくなってしまいました。そんな時、ちょうど試験官から『はい、結構です』と言われて、ほっと一安心したことを今でも覚えています。入社後に初めて知ることとなりましたが、実は、その試験官はペイン語は話せないとのことでした。もしもあの時、試験官がスペイン語を話せていたとしたら、HONDAで働くことはなかったと思います。これは補足となりますが、入社後のビジネスは英語が中心で、スペイン語を使う機会はほとんどありませんでした。でも、今の時代、これでは通用しませんので、学生の皆さんには、ぜひ、しっかりと第二外国語も勉強してほしいと思います。 

入社後は、結果的に、英国駐在9年間、タイ・マレーシア駐在9年間の中で、ヨーロッパ・アジアの各国に旅行することができました。スイスのアルプスは特にお気に入りの場所で、家族揃って4回行く機会に恵まれました。あの時、先輩のアドバイスが聞けて、本当に良かったと思います。

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心動かされたオヤジさんの『おもてなし』

1983年10月、私が28歳の年に、会社創立35周年記念式典が鈴鹿サーキットで開催されました。その時、記念式典P/Jチームの若手代表として、本田宗一郎(HONDA内部では親しみをこめてオヤジさんと呼んでいました)氏/城山三郎氏<ゲスト>を半日案内する機会をいただきました。城山さんを『おもてなし』する本田さんのユーモアのある、それでいて温かい心のこもった対応に、とても心動かされたのを今でも鮮明に覚えています。その後は、魅力的なオヤジさんの『おもてなし』を常に意識するようになり、会社内部及び対外業務展開の中でユーモアを入れる事で、交渉等をスムーズに行う事ができました。天国のオヤジさん(1991年8月他界)には今でも感謝しています。

2007年6月~2012年3月のタイ駐在時のエピソードですが、当時、タイの工場はアジア全体のハブ工場となっており、アジア各国(タイ/パキスタン/インド/マレーシア/インドネシア/ベトナム/台湾)の技術者が駐在し、日本人が先生となって教育指導をしていました。タイ駐在の前の英国駐在時の9年間でも同様でしたが、異文化コミュニケーションの大切さを認識し、英国の歴史や文化を勉強して英国人と良いコミュニケーションができるように実践してきました。しかし、タイ駐在時は、アジア各国にわたる歴史や文化、宗教(イスラム教・ヒンズー教等)の基本を知らないと、彼らとより良いコミュニケーションが取れないんだということを、改めて痛感させられたことを覚えています。

5年間の駐在期間中に、3度もの命拾いを経験

また、タイ駐在期間中には、3度もの命拾いをした経験があります。2010年5月、タイ治安部隊と赤シャツ隊(反独裁民主戦線)との争いで、当時、私が住んでいたエリアにあるバンコク・ルンピニー公園付近で、デモ参加者バリケードを治安部隊の装甲車が破壊して突入し、銃撃戦が始まりました。バンコクの映画館、証券取引所、銀行、テレビ局などが次々と放火され、セントラルワールド(デパート)の一部が炎上・倒壊する被害が出ました。そこで、政府は夜間外出禁止令を発令。その影響でバンコク市内の自宅にも戻ることができず、着の身着のままの状態でバンコク市内のホテルで2週間の緊急避難生活を送ることになりましたが、それでも、命だけは助かりました。これをきっかけとして、2010年6月、バンコクからアユタヤ地区に転居を決意することになります。

2011年3月11日に発生した東日本大震災。この時は、タイから15名の現地人と一緒にHONDAの研究所(栃木県芳賀郡)に出張に来ていました。地震発生時はちょうど研究所で会議をしていたのですが、大きな仕切り壁が倒れてきたのを間一髪で机の下に入りこんで命拾いしました。しかし、残念ながら、同じ建屋で働いていた日本人1名が壁の下敷きになって命を落としました。タイではほとんど地震がないこともあり、出張中の留守を守る家族たちからは心配のメールや電話が殺到。タイへの早期帰国を余儀なくされました。

そして。2011年10月には、タイで起こった洪水でアユタヤ地区にあるHONDAの工場も最大で3m程度浸水しました。アユタヤでの生活がようやく落ち着きはじめた時期でしたが、身の回りの貴重品だけを持って、自宅からバンコクのホテルに緊急避難。ここに来て、約2ヶ月間の避難生活を改めて送ることになろうとは、思ってもみませんでした。

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タイ駐在時のメンバーとの集合写真

「ほめ殺し」方式の実践

英国に家族帯同で駐在していた頃の話に戻りますが、駐在赴任時、長男(小3)/次男(小1)は英国の私立小学校に通学していました。ある日、学校で父兄参観授業があり、私も参加しました。この時に感動したのが、英国での「ほめる」教育方法です。先生方がちょっとした事でもほめるので、私は「ほめ殺し」だな、と感じたのを覚えています。その時の経験を活かし、子どもたちへの子育てについては、この『ほめる』教育方式も実践してきました。既に、子供達は30歳前後ですが、この方式の子育てがとても良かったと実感しています。そこで、会社でも同様にこの方式を実践してきました。そのやり方とは、最初に良い点を3~4つぐらいあげてほめ、最後に「こうすればもっと良くなるよ」と言ってアドバイスを行う方式です。この方式を使う事により、仲間たちが成長すると同時に、会社としても大きな成果を上げることができたのは言うまでもありません。

同窓会マレーシア支部の設立

マレーシア駐在期間中には、地元のフリーペーパー等を通じて同窓生の結集を呼びかけ、はじめてマレーシアでの懇親会を開催。定期的に懇親会などを開催し、現地で働く幅広い世代の同窓生とのコミュニケーションを深めるとともに、2015年3月には、海外で初めての試みとなる現役生と卒業生の交流イベントも開催する事が出来ました。そして、準備活動をはじめてから1年半後の2015年10月には、念願だった2番目の海外支部となるマレーシア支部が設立されることになりました。現地での駐在期間中に、支部設立をして正式活動を行う事が出来、本当にうれしく思っています。

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【写真上】同窓会マレーシア支部 設立総会の様子
【写真下】(左)部下の結婚式に参加 (右)マレーシア駐在時のメンバーとの集合写真

第二の人生のスタートライン

2016年5月31日で、HONDAを定年退職しました。卒業後、38年間、一度も立ち止まる事なく走ってきた人生でしたので、暫くは、ゆっくりと第二の人生の道を検討していきたいと思っています。これからも、一生涯、世の中の為になり、人に喜んでもらえるような仕事が出来ればと思っています。 併せて、駐在/出張を通して異文化コミュニケーションの大切さを痛感しましたので、その体系的な整理をするためにも、これからも勉強していきたいと思っています。同じ日本人同士であっても、数多くの異文化が存在しています。夫婦同士でも同様です。私自身、9年間の単身赴任が続きましたので、当面は家内とのコミュニケーションの充実を図っていく予定です。これからも、自分自身を更に磨くために勉強を続けていきますので、第二の人生をスタートさせた1回生の私に、同窓生の皆さんからのアドバイスをよろしくお願いいたします。

高い異文化コミュニケーション能力が求められる時代

今後のグローバル企業展開では、最低限、英語の他に中国語の習得が必要だと実感しています。そのような中で、必要とされる事は、高い異文化コミュニケーション能力です。ビジネスでは、語学を使って交渉や説得ができる論理的なコミュニケーション能力が必要とされており、如何に異文化コミュニケーションの高い能力ある人材を確保し、社内で育成していけるかが、企業展開のポイントとなることは間違いありません。これからも、母校から、素晴らしい人材が育ち、大きく羽ばたいていくことを期待しています。

掲載:平成28年7月

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