佐竹 雅昭

  • すべての人が夢を持てる日本へ
  • 総合打撃道 佐竹道場総長
  • 佐竹 雅昭
  • 外国語学部 英米語学科 卒業
佐竹 雅昭

ウルトラマンに憧れて格闘家の世界へ

 私は、ウルトラマンになろうと思って格闘家になったんです。「ウルトラマンなんて」とバカにする人もいるかも知れませんが、もし、当時の自分が格闘家になろう、と思って格闘家を目指していたとしたら、ひょっとすると格闘家にすらなれなかったのではないか、と今は思いますね。夢は現状で達成できるようなものでは全然足りなくて、不可能とも思えるほど大きな「夢」を持つことで、今の自分を少しずつ持ち上げていくんだと思うんです。だから、「ウルトラマンになろう」という巨大な「夢」への通過ポイントといえる「格闘家」という「夢」に、気が付いたら手が届いていたのかも知れません。
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大学時代に決断した空手一筋の人生

 14歳という少年時代に空手の道を志してからは、一心不乱に練習に打ち込んできました。正道会館時代も、佐竹は練習しない、みたいな言い方をされることがありましたが、自分一人で練習するのが性に合っていましたから、実は陰で人一倍練習していました。大学に入ってからは、道場に通うお金も当然必要になってきますので、アルバイトは結構しましたね。でも、例えば引っ越しのアルバイトの時は、わざとエレベーターを使わないで荷物を持って階段をかけあがって体を鍛えたり、夏場はプールの監視員として水中で毎日蹴りの練習をしたり・・・。「監視員が暴れている」と子供が事務所に苦情を持ち込んだこともありましたが、そんなことはお構いなしで練習を続けていましたから、近所の子供たちからは"空手マン"という名誉なあだ名をつけられましたね。(笑)でも、そのくらい正道会館の空手チャンピオンになるために、暇さえあれば常に練習していましたね。だから、練習で消費したエネルギーを補うために、昼食はいつもA定食+B定食+C定食+うどんといった具合に、食堂の机いっぱいに広げて占領するのが日課となっていました。今思うと傍迷惑な話ですが、当時、これはこれで名物になってたんではないでしょうか。(笑)大学の4年間はずっとクラスのメンバーが同じだったので、クラス全体がなんだか家族のような感じでとても楽しかったのを覚えています。

 大学卒業後の進路に関しては、一般企業への就職が決まっていたのでそちらへ進む選択肢もあったのですが、あえて茨の道である空手一筋で生きていこうと心に決めました。とにかく自分自身、何ができるのか、どこまでやれるのか、見当もつかないスタートでしたが、まっすぐに生きる姿勢だけは貫き通そうと心に決め、この道を歩み始めました。ただ皮肉なことに、まっすぐに生きようとすればするほど、様々な紆余曲折を経験することになったのもまた、事実でした。
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どんな困難からも逃げない強い意志

 格闘家としての人生は波乱に満ちたものでした。リングスで闘い、K-1を立ち上げ、そしてPRIDEへの参戦。拳による顔面攻撃のないフルコンタクト空手に始まり、そしてキックボクシング・スタイルを経て、総合格闘技への挑戦。ただただサンドバックを蹴っていた空手時代とは、全く趣を異にする闘いの世界へと踏み込んでいったわけです。PRIDEのリングに上がった頃には、私はもう35歳を超えていました。でも、その年でバーリ・トゥードなどという訳の分からない世界に挑戦しようという自分が、たまらなく好きでしたね。

 正直、試合中に死にかけたこともありましたが、ボロボロになっても闘う姿勢は、やはりウルトラマンの精神から来ていると思います。ウルトラマンは、何の見返りも期待せず、ただ地球の平和を守るために、「無償の愛の力」で懸命に闘う。自分の心に負けない精神、一回決めたことをやり抜く心の強さ。そういう姿勢を教えてくれたウルトラマンの存在がなかったとしたら、ここまでやって来られたかどうか分かりませんね。

真の日本のあるべき姿を取り戻すために

 2007年、「武士から武師へ、士(さむらい)から師(心の拠りどころ)へ」と置き換え、私たちが日本人として真ん中に据えるべき「義」を探求するために、平成武師道の会を立ち上げました。この原点にあるのは、やはり「ウルトラマン精神」に他なりません。人の喜びを我が喜びに変え、なおかつ克己心を持ち、自分に打ち克つ力を持った大人になることが必要なのです。

 文明とは、肉体文化、精神文化、物質文化の集合体です。そう考えた時、いったい今の日本はどれが強いのか。残念ながらどれも強くないんですね。ただ、日本が世界と勝負できるのは精神文化だと私は思うんです。でも、精神文化に関しては娯楽を与えられすぎて礼儀や節度を忘れてしまい、「自由」が「わがまま」になってしまっている。平成の時代は江戸時代の中期ぐらいと状況が似ていると言われていますが、もう少しすると風雲の時代がきっとやって来ます。だからこそ、その時が来る前に、刀を磨き、鞘に納めておく必要があるのです。

 日本の精神文化を作り上げ、それをもとに行動し、世界の中心となるために、常に進化や行動をしていくことが非常に重要です。今は私が坂本龍馬のごとく全国をまわって人と会い、点を線に、線を円に、そして、その円が縁としてつながっていくようにしています。焦らず、そしてゆっくりでも確実に、この武師道の会の考えを広めていきたいですね。
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すべての人が夢を持てる日本へ

 今、私は『武師道』をもって、さらなる壮大な夢に挑もうとしています。私が抱く夢、それは、古き良き日本、誇りある、誇りの持てる日本を取り戻すことです。紆余曲折の道を辿りながらも信念を曲げずに歩んだ私のこれまでの人生。五十にして天命を知ると言いますが、まさに天命を果たすべく現在の境地へと導かれてきたように強く感じています。

 どこまでウルトラマンに近づけるか。たとえ実現不可能であろうとも、私は常に〝夢〟に向かって生き続けます。

掲載:2013年6月

佐竹 雅昭 氏 プロフィール

1965年、大阪府吹田市出身。空手家・格闘家。 高校入学と同時に正道会館に入門。大学時代から数々の全日本空手道選手権を制覇。ヨーロッパ全土、タイ、オーストラリア、アメリカへ武者修行し、そこで世界各国の格闘技、武術を学ぶ。93年、格闘技イベント「K-1」を創設し、選手としても活躍する傍ら、映画やテレビ・ラジオのバラエティ番組などでも活動。2003年、「総合打撃道」という新武道を掲げ、京都府京都市に佐竹道場を構え総長を務める。07年、武士道を研究。そこから京都の企業・会社・医院など、経営者を対象に「平成武師道」なる人間活動学塾を立ち上げる。人材育成・企業社員育成のほか、「平成武師道」を内容とした講演を各地・各企業で展開中。

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