杉山 泰子

  • NPO法人関西シャンソン協会理事長
  • シャンソン歌手 翻訳家 エッセイスト
  • 杉山 泰子
  • 1970年 外国語学部 英米語学科 卒業
杉山 泰子

夢見る海外生活、Olga Wildさんとの出会い

 学生時代は、迷いの多い時期で目標が見つからず迷走していました。日本は狭いという思いから外国に飛び立って行きたかったのですが、なかなかそのようなチャンスもなく、スイス人のOlga Wildさんというおばあさんと文通をして見知らぬ国を夢見ていたのを覚えています。その間、時にはオルガさんが日本にいらしたり、私がスイスのチューリッヒのオルガさんのところに行ったりして、ヨーロッパの文化に色々と触れさせていただきました。その後、オルガさんがご存命の間、30年間に亘り文通を続けました。私の芸名のWildというのは、実はそのおばあさんからいただいた名前です。
キャプション

今の私につながる学生時代の小さなエピソード

 関西外国語大学に通ったおかげで私の人生のスケールは大きくなり、世界的な視点で物事を考え、感じる習慣ができました。外国人と付き合うときには、国とか環境よりも、その人個人がどんな人格の人か感じながら付き合うことが大切なことを学びました。大学二年生のころ、授業の帰り道の枚方市駅のプラットホームでフランス語の先生と偶然出会いました。第二外国語でフランス語を選択していたので、電車を待つ間、先生とお話をする機会が持てました。そのとき先生が、「シャンソンに{枯葉}という美しい歌がありますよ」と、おっしゃってその一節をフランス語で口ずさんでくださいました。プラットホームは夕日の赤い色に染まっていて、そこで流れる先生の静かな歌は、私の印象に深く刻まれ、忘れることのできない思い出になりました。それから10年余りたって、私はシャンソン歌手になりました。偶然の出来事のように思っていましたが、今になって考えるとそんな小さな出来事のすべてが今の私につながっていたのですね。

3分間のドラマといわれるシャンソンとの出合い

 27歳よりシャンソンを学び始め、31歳で歌手デビューしました。音と文学が一緒になったシャンソンというジャンルを見つけたのが、シャンソンと私が出合うきっかけでした。
 中でも、フランス人ミュージシャンたちと日本公演でツアーをしていた時に、彼らと「サクラジマ」という曲を作ったのが印象に残っています。日本の美しさをフランス人の目から見て作られたオリジナル曲が生まれた時、国境を越えた音楽を作り出した喜びがありました。
 3分間のドラマといわれるシャンソンの世界。文学・哲学を、音と言葉で表現して行くシャンソンという音楽の素晴らしさを、次の世代に引き継ぎたいと思っています。

 これからこの世界で活躍してみようと考えている皆さん、人生の岐路に立った時、ちょっと立ち止まって考えてみて、その後思い切って前に進むことです。苦しいことがある分だけ、道は開けます。

掲載:2014年5月
キャプション
キャプション

杉山 泰子 (ヤスコWild)氏 プロフィール

キャプション
NPO法人関西シャンソン協会主宰、日本訳詩家協会関西支部長。シャンソン歌手 訳詩家 エッセイスト。シャンソン界では「歌う詩人」として知られる。2007年にヤスコからヤスコWildに改名。1985年、「三文オペラ」のソングを全訳。1989年より、パリ、ラパン・アジル、ル・コネッターブル等に出演。現在、関西にシャンソン文化を広めてゆくため、コンサートなどを各地で主催。

主な著作
「ケセラセラ」ビレッジプレス出版社
詩集「空の色」ビレッジプレス出版社