高木 恵

  • 報知新聞社(東京本社)
  • 新聞記者(編集局運動2部・主任)
  • 高木 恵
  • 1997年 外国語学部 英米語学科 卒業
高木 恵

「仕事で世界を飛び回ってみたい」そう思うきっかけとなった留学経験

 学生時代、頑張ったと胸を張って言えることはありません。一生つきあえる友人を見つけることができたことくらいです。でも、それでいいと思っています。資格は何か取っておいた方がいいなと思い、英語検定準1級を取りましたが、使わなければ忘れる一方です。そして、忘れてしまいました。

 3年生の9月から4か月間、米国ニューオーリンズのTULANE大学に留学しました。交換留学や推薦留学と比べると授業内容にも余裕がありましたから、あまり勉強はしなかったですね(笑)。今思うと、もっとちゃんと勉強すればよかったな、とは思いますが・・・。ただ、吸収できるものは何でもしてやると、毎日を全力で過ごしました。休日には、ニューオーリンズから、アトランタ、メンフィス、ヒューストンあたりへ週末を利用して旅をしました。一言で「アメリカ」「南部」といっても街ごとにそれぞれの魅力があります。自分の目で見たもの、そこで覚えた感情は、必ずその後の財産になります。留学期間に知り合った友人とは今も交流が続いていますし、TULANE大学のLAW SCHOOLに通う米国人と仲良くなる機会にも恵まれました。授業の一環の模擬裁判に陪審員として参加させてもらったことも、貴重な経験の一つです。

 学生時代を振り返ってみて、今の自分に役立っていると感じるのは、やはり留学経験ですね。私にとって初めての海外だったんですが、最初は怖くて寮の外に出るのも緊張しました。4か月という短い期間でしたが、あの時の経験が「仕事で世界を飛び回ってみたい」と思うきっかけにもなっています。関西外大は留学プログラムが非常に充実しているので、在学中の皆さんには、是非チャンスを利用して欲しいです。

感動を届ける側になりたい

 大学4年の時の就職活動では、最終面接まで行くことはあっても、内定をいただくことは出来ませんでした。その頃にはスポーツ記者になると決めていたので、迷わず1年間就職浪人をしました。

 子供の頃からスポーツが好きだったのですが、卒業が迫り、自分はこれから何がしたいのか、と考えた時、「スポーツ記者」が頭に浮かびました。それから、好きなことを職業にしたい、と思うようになったんです。北海道の田舎町出身の私は、幼少期にスポーツを観戦する機会もほとんどなく、当時は今のようにインターネットもなかったですから、情報を得るために、新聞や雑誌を読みあさっていましたね。「あのプレーの裏にはこんなことがあったのか」「こんなことを考えていたのか」と、新たな発見が楽しかったのを覚えています。そして、これからは、自分がこのような感動を届ける側になりたい、と思うようになりました。

 報知新聞社から内定をもらい、1998年4月に入社。入社後は編集局整理部に配属されました。原稿を読んで、見出しやレイアウトを考える部署です。スポーツ紙は見出しが独特ですから、頭が痛くなるほど考えなくてはいけませんでした。遠隔地に届く新聞は締め切りが早く、都内に届くものは最終版なのですが、後版へ向けて原稿も差し替わりますし、レイアウトも変えていきます。だから、締め切りに終われる日々でした。現場に出る仕事ではなかったですが、とても楽しかったですね。

 2008年秋から、現在の部署に異動になりました。14年まで約6年間、ゴルフ担当。そして、15年から五輪担当。16年のリオデジャネイロ五輪は水泳、レスリング担当として現地で取材。18年はフィギュアスケート担当として平昌五輪を取材。現在は、2020年東京五輪を目標に働いています。
キャプション
キャプション

全力で戦う選手を取材するんだから、取材する側も全力でなければならない

 この仕事は本当に体力勝負です。海外での取材は時差があるので、特にきついです。新聞社は完全に夜型で動いているので、会社にデスクが来るのは日本時間の午後。現地時間でいうと、もう夜遅い時間です。そこからデスクと打ち合わせをして、原稿を書いていきます。当然、こちらが用意していたものとデスクが求めるものが異なることもあります。ゴルフ取材は朝から日が落ちるまで、一日中、海外の強い日差しを浴びながら、選手に付いてコースを歩くのですが、選手の表情のちょっとした変化も見逃さないように歩かなくてはいけません。マスターズなどの海外メジャーだと、18ホールを2度。一日に歩く距離は10キロメートルを超えます。睡眠不足で注意力が散漫になることもままあり、鍵を入れたままレンタカーのトランクを閉じてしまったり、ライトをつけっぱなしで翌朝バッテリーがあがってしまったりと、海外ではそんなトラブルだらけ。でも、全力で戦う選手を近くで取材している訳ですから、取材する側も全力でなければならないと自分に言い聞かせています。とにかく足を使うこと。追いかけている選手が、自分に対して徐々に本音を語ってくれるようになった時、何事にも代え難い喜びを感じます。

 時差が12時間のリオデジャネイロ五輪は、今思い返しても辛かったです。水泳とレスリングを担当したのですが、連日のメダルラッシュ。大会中の睡眠時間は連日2時間程度の毎日でした。でも、そんな疲労も、選手の笑顔を見れば、たちまち吹っ飛んでしまったものです。また、平昌五輪はフィギュアスケートを担当しましたが、一生の宝になるような素晴らしい瞬間にも立ち会うことが出来ました。帰国後はしばらく燃え尽き症候群に陥ったほどです。
キャプション
キャプション

選手に負けない熱量がこもった記事を

 2020年には東京五輪が控えています。現在、東京五輪キャップを務めていますが、リオデジャネイロ五輪、平昌五輪に次ぎ、3度目の五輪は自国開催。当然、報道する側の重圧も大きくなります。4年に一度の舞台に至るまでの選手の覚悟や、想像を超えた努力をしっかりと伝えることが出来るように、私たちも覚悟をもって取材にあたらなければなりません。選手に負けない熱量がこもった記事を届けられるように頑張ります。
キャプション

自分の武器を磨いてください

 外大出身じゃなくても英語を話す人はたくさんいます。4年間で自分の武器を磨いてください。私の場合はどれも中途半端で、学生時代に育むことができたのは「好奇心」くらいですが。それから、学生の間に、外大生の友人だけでなく、もっと多くの学部の人たちと知り合う機会を作って、視野を広げて欲しいです。社会に出ると、いろんな価値観を持つ人と一緒に仕事をすることになりますから、自分の可能性をどんどん広げていってください。若さとは失って気づくもの。今を大切に。

掲載:2018年8月