浜田 満 氏
- 株式会社Amazing Sports Lab Japan
- 代表取締役
- 浜田 満 氏
- 1999年 外国語学部 スペイン語学科 卒業
24歳までに英語・スペイン語・イタリア語を話せるようになろうと決意
当時、CPEというスペイン語のクラスに所属しており、そこにクラウディアというチリ人の先生がいらっしゃいました。その方は、チリの社会主義政権の時代を生きて来られた人でしたので、イデオロギーに関するディベートをよく行いました。その影響で南米に興味を持つようになり、そのことがきっかけで最終的にベネズエラに行くことになったのかな、と今では思います。
学生時代は、スペイン語学科でしたので、大学時代にスペイン語を話せるようにならなかったら終わりだと思い、ひたすら語学を勉強しました。なぜだか分からないですが、24歳までに英語、スペイン語、イタリア語を話せるようになろうと決めていましたので、アルバイトでお金をためては短期留学を繰り返していました。留学のために3つぐらいバイトを掛け持ちしていたこともあり、大学時代は全然遊んだ記憶がありません。今思うともっと遊んでおけばよかったと少しだけ後悔しています。
1995年に外大の留学プランでバジャドリ大学に1か月短期留学したのが最初の留学経験です。その時、留学先の大学の遠足でサラマンカに旅行にいったのですが、そこで出会った日本人の女の子と記念撮影をし、その場で連絡先を交換したものの、それからとくに連絡するわけでもありませんでした。そして、その1年後にマラガに1年間留学することになりました。今では考えられないですが、留学する際に語学学校の申込を済ませ、振り込んだあとに語学学校からアパートの鍵と住所だけが送られてきました。とにかく地図を頼りにマラガのアパートを探し、アパートの鍵を開けたら、なんと、1年前にサラマンカで出会った子がその家をシェアすることになる子だったんです。これは運命だ!なんて思ったけど、まあ見事に振られましたね。
このような学生時代でしたが、バックパックで30カ国回った経験や、スペイン語は本当に役に立っています。今では毎日スペイン語を使いますし。サッカーも含めて、今まで経験してきたことすべてが今の自分に役立っています。
学生時代は、スペイン語学科でしたので、大学時代にスペイン語を話せるようにならなかったら終わりだと思い、ひたすら語学を勉強しました。なぜだか分からないですが、24歳までに英語、スペイン語、イタリア語を話せるようになろうと決めていましたので、アルバイトでお金をためては短期留学を繰り返していました。留学のために3つぐらいバイトを掛け持ちしていたこともあり、大学時代は全然遊んだ記憶がありません。今思うともっと遊んでおけばよかったと少しだけ後悔しています。
1995年に外大の留学プランでバジャドリ大学に1か月短期留学したのが最初の留学経験です。その時、留学先の大学の遠足でサラマンカに旅行にいったのですが、そこで出会った日本人の女の子と記念撮影をし、その場で連絡先を交換したものの、それからとくに連絡するわけでもありませんでした。そして、その1年後にマラガに1年間留学することになりました。今では考えられないですが、留学する際に語学学校の申込を済ませ、振り込んだあとに語学学校からアパートの鍵と住所だけが送られてきました。とにかく地図を頼りにマラガのアパートを探し、アパートの鍵を開けたら、なんと、1年前にサラマンカで出会った子がその家をシェアすることになる子だったんです。これは運命だ!なんて思ったけど、まあ見事に振られましたね。
このような学生時代でしたが、バックパックで30カ国回った経験や、スペイン語は本当に役に立っています。今では毎日スペイン語を使いますし。サッカーも含めて、今まで経験してきたことすべてが今の自分に役立っています。
自分が好きな仕事で生きていきたい
元々は、国際協力関係の仕事をしようと思っていましたが、JICAの中途採用試験に受からなかったため、語学を使えるということと、サッカーが好きだという理由でスポーツ関連会社に入社しました。その会社にはスペイン語を話せる人がおらず、幸運なことに、スペイン語関連の仕事はすべて自分のところにまわってきました。最初に配属されたライセンスマーケティング部ではFCバルセロナ担当となり、日本初のFCバルセロナオフィシャルストアのオープン、また、キャプテン翼の翼君をバーチャルでFCバルセロナに移籍させるという企画の担当となり、それらの企画の成功により、FCバルセロナの上層部と仲良くなり、結果として独立の際にはずいぶん助けてもらいました。
それまでは、自分が何をやりたいかということよりも、どういう仕事が自分の武器を最大限活かせることができるのか、そればかりを考えていました。でも、自分が好きなサッカーという領域の仕事をしたことにより、この世界で生きていきたいという考えが芽生えはじめました。まさにそんな矢先、会社が民事再生となり、このタイミングしかないと思ってFCバルセロナに事業計画を提出したのが、今の仕事に就くきっかけになりました。
それまでは、自分が何をやりたいかということよりも、どういう仕事が自分の武器を最大限活かせることができるのか、そればかりを考えていました。でも、自分が好きなサッカーという領域の仕事をしたことにより、この世界で生きていきたいという考えが芽生えはじめました。まさにそんな矢先、会社が民事再生となり、このタイミングしかないと思ってFCバルセロナに事業計画を提出したのが、今の仕事に就くきっかけになりました。
スポーツ界のアカデミー賞「ローレウスアワード」での受賞
起業後、自分が作った小学生向けのU-12ジュニアサッカーワールドチャレンジというサッカーの大会で起こった出来事なのですが、決勝戦の後、FCバルセロナの選手が大宮アルディージャの選手に対して、健闘を称えた映像(スカパーで放送されていた)が、ツイッターで全世界へ広がり、世界中80カ国以上の国でニュースとして流れました。ニューヨークタイムズやワシントンポストをはじめとする世界のトップメディアにも取り上げられ、大きな反響がありました。その結果、そのシーンが、スポーツ界のアカデミー賞といわれる「ローレウスアワード」において、スポーツのベストモーメント賞という賞を受賞しました。他にもいろいろありますが、ありすぎて書ききれないです。
サッカー界でパラダイムシフトを起こしたい
自分自身、奈良県で生まれ育ち、サッカーをやってきました。また、スペイン語を通してたくさんの友人や仕事仲間にも恵まれ、幸運なことに、好きなことだけしかせずに人生を送ることができています。さらに、サッカー界で行ってきた取り組みがいろいろな方に評価され、本を出版させていただいたり、メディアに出演させていただいたりする機会も増えました。先日、FCバルセロナサッカースクール奈良校をオープンしたのですが、これからは自分が行ってきた経験、アイデアを自分の地元やこれまで支えてくれた方、応援してくれた方、そして自分の大好きなサッカー界に還元できたらと思っています。一方で、自分がこれまで培ってきた価値観というものを最大化したいとも考えています。すでに手応えはだいぶ掴めていますが、サッカー界において、自分が考えている仮説を実行し、成功させ、パラダイムシフトを起こしたいと考えています。
全身全霊でやりたいことをやってみる
人生1回しかないので、やりたいことに100%の力を注ぐことですね。今、自分のやっていることが、将来何かにつながるのかなあ、なんて考えてしまいがちですが、うまくいったこともうまくいかなかったことも、すべて自分の血となり肉となります。無駄なことなんて何一つありません。ただし、大切なことは、全身全霊でやりたいことをやってみることだと思います。遊びが好きならとことん遊べばいいと思います。そして、そのやりたいことの中でどういう風にすればお金を生み出せるかを考えてみることです。 サッカー業界に興味があって、学生時代に何か1つやっておくことがあるとすれば、英語・スペイン語など、サッカー業界で使われている語学を徹底的に身につけることかな、と思います。言葉さえできれば、稼げるかどうかは別にして、業界で働くことは難しくないです。
掲載:2018年6月
掲載:2018年6月
浜田 満(はまだ みつる)氏 プロフィール
1999年に日本ハム(株)入社。2000年に在外公館派遣員のテストを受け、2000年9月~2002年9月まで在ベネズエラ日本国大使館で勤務。帰国後、JICAの社会人採用試験を受けるも不採用となり、2003年、スポーツ関連会社である(株)日本スポーツビジョンへ入社。入社後9か月で会社が民事再生法の適用を受け、そのタイミングでFCバルセロナに事業計画を提出したところ、会社にするという条件で契約を結ぶ。2004年6月に個人事業として創業し、2004年9月に有限会社ムンドアレグレとして法人化。2006年、スペインのエージェントである、Amazing Sports Labと業務提携し、社名をAmazing Sports Lab Japanに変更。現在、14期目となる(社員数30名強)。