増田 直久

  • 南アジア・オセアニア日本通運株式会社
  • パキスタン・イスラム共和国代表/パキスタン支店長
  • 増田 直久
  • 1987年 外国語学部 英米語学科 卒業
増田 直久

テニスに明け暮れた学生時代

 学生時代は一にも二にも三にもテニス、勉強そっちのけで日々テニスに明け暮れていました。アルバイトもテニスのコーチをしており、テニスから離れる事はありませんでした。プロになろうとも思いましたが、実力が伴いませんでした(笑)

 大事な春のリーグ戦で、シングルスの試合に出場していた時の事です。落とすとチームが敗退となってしまうので、応援と言うか先輩からのプレッシャーが半端なく(負けたら坊主とやじられてました。全く応援してるのか何なのか・・・笑)、第一セットを接戦で失った私は、必死で第二セットをもぎ取り、最終セットは粘り合いの消耗戦となり、3セットマッチなのに5時間を超える戦いで、その接戦を制した事が今でも記憶に残っています。先輩達から「勝つんやったら、もっと早よ勝てよ!」と労いの言葉も頂きました。
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留学時のエピソード

 ハワイ校の短期留学(セミナー)に参加していた時の事ですが、クラスのある美女をデートに誘いたくて先生に冗談で相談したところ、何とデートのコースも全てプランを組んでくれたのです。(さすがハワイの人ですね・・・笑) そして週末のホームワークがクラスの皆に出され、週末の出来事をまとめて英文で報告する事と言われて、私にはデートの成果(?)も合わせて報告する様に、難しい宿題を出された事が今でも印象に残っています。

今の自分に役立っている学生時代の経験

 テニス部で培った体力とテニスを今でも続けている事で、常に健康で色んな所で人間関係の構築に役立っています。インド勤務時代は日本人会テニス部の部長をやっていました。また、学校には色々な留学生が居て、外国の方に対するアレルギーがなく、どこの国に行ってもすぐに溶け込める点です。

外大に入ったからには海外で活躍したい

 卒業後は日本通運に入社しました。外大に入ったからには海外で活躍する事を夢見ており、海外拠点も多く、海外勤務の機会が多いだろうと感じたことや、折角入るなら業界ナンバー1の企業で挑戦がしたかったという思いが入社の決め手となりました。最初の二年半は徳島で国内貨物を担当し、その後、大阪に戻り海外引越の航空便の手配を任され、1992年から一年間シンガポールで海外研修を受けました。そして、1993年から三洋電機様に7年駐在し、輸出業務を担当させてもらい、1997年から2003年までマレーシア・クアラルンプールで海外勤務。2003年に帰国し、大阪で航空貨物の営業課長となり、2008年からはインドのバンガロールでセールスを担当。一旦2014年に帰国しましたが、2016年より再びインド日通に営業担当副社長として赴任。そして、2018年10月にインドから横異動で現職に就きました。海外勤務生活が15年目を迎えた今、人口2億2千万人のマーケットで日々奮闘しています。

 インドのバンガロールで勤務していた頃に商工会で役員をしており、その関係で大使館より2014年天皇皇后両陛下(現在の上皇様)がご来印され、その時にインドの日本人会と商工会の役員だけがお茶会に招待されました。天皇陛下と5分ほどインドの赤ワインで乾杯して、談笑させていただいた事が、一生の思い出となっています。
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パキスタンの発展に一役買いたい

 先ずは一国の代表としてパキスタンにおいてのビジネスを成功させ、成長させていく事。社会貢献にも寄与して、私に仕事の機会を与えてくれたこの国に感謝すると共に、パキスタンの発展にも一役買っていきたいです。現在55歳。幸い(?)な事に定年退職が65歳となったので、パキスタンでの仕事を完遂した後も、どこかの国で経験を生かして仕事を続けていきたいと考えています。
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チャレンジ精神を忘れずに

  最近は安定志向で国内でも転勤のない仕事が好まれる様ですが、あらゆる事、自分に起こるさまざまな事には全て意味があります。私もこんな僻地とも言えるパキスタンで働いてはいますが、私でしか出来ない事がここにきっとある、私しかここでのビジネスは成功させられないと自負しています。どうか皆さんもチャレンジ精神を忘れずに、色々な事に挑戦してください。

掲載:2019年8月
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