白木 優志

  • 上海白優装飾設計有限公司
  • 代表取締役社長
  • 白木 優志
  • 2005年 外国語学部 英米語学科 卒業
白木 優志

人は不純な動機ほど頑張れる

 在学時代に力を入れたこと、といわれてまず思いつくのは、女の子と友達になることと、後は中国語ですね。女の子の方は、うまくいく時もあれば、うまくいかない時もありましたが、大学三年生の頃に好きになった子がたまたま中国人で、日本語は全く話せませんでした。だから、好きになった想いを伝えようにも言葉が通じない。でも、とにかくその子と話がしたい一心で中国語を猛勉強しました。結局、中国語の方も女の子の為か、と皆さんは思うかも知れませんが、人は不純な動機ほど頑張れるもので、結果的に中国語の能力は飛躍的に上昇しました。

 後、関西外大は女性の数が多く、美人な方もたくさんいましたので、美人に対する免疫は強くなったと思います。これは、ビジネスにおいて非常に重要でして、有名人を前にしても自然体で話せるなど、ビジネスシーンで大いに役立っています。

卒業と同時に上海に移住

 就職活動がうまくいかず、やりたいことも特になかったので、卒業と同時に上海に移住しました。上海に移住してから一ヶ月ほどは現地の大学に通っていましたが、その後の一年くらいは当てもなく彷徨っていました。やがて、資金が底を尽きかけた頃、大手日系企業に入社。しかし、そこでの勤務もわずか三ヶ月で飽きてしまい、退職後、直ぐに起業(24歳)することになります。

 2006年、コンサル、ビジネスセミナーを主とした会社を設立し、2010年には、自社経営を行いながら日系インテリアデザイン会社の総経理(現地責任者)になりました。しかし、2012年、現地責任者となっていた会社との意見の相違により袂を分かち、自分自身でインテリアデザイン会社を立ち上げることになります。

 会社経営を行う中で、社員が(社員と)何かを成し遂げた時、嬉しさや楽しさをその仕事に関わるメンバーたちと共有する機会を何度となく味わいました。そして、その瞬間にいつも思うのは、これらの感情は一人では決して味わうことができないものだということ。仲間たちと一緒に分かちあうことで、幸せな感情は倍増するんだということを学びました。

今後の目標やビジョン

 既に起業して11年(10月には12年目に突入)になりますが、やりたいこと、欲しいモノは全て20代の頃に手に入れてしまいました。起業家なので当たり前なのですが、自分の人生を会社(仕事)に捧げてきたつもりです。だから、今は昔よりもゆっくりと生きています。昔は、負けない、勝たないといけない、と常にお金儲けのことばかりを考えていました。良くも悪くも典型的なオーナー社長であり、ワンマン社長だったと思います。でも、今は少し余裕も出てきましたので、昔より穏やかに会社を経営しています。

 結局のところ、何が言いたいのかと申しますと、仕事に関しての今後の目標やビジョンについては、明確に答えることができません。私は私で迷っています。

自分の人生は自分で決めるべき

 人の意見には耳を傾けるべきだと思いますが、決断は自分自身がするものです。これが大前提ではありますが、これから同じ業界で活躍しようと考えている皆さんに、最後にいくつかメッセージがあります。

1.人を幸せにしたい、と思うなら、まずは自分が幸せになるべき
自分自身が不幸せなら、人を幸せにしたり、人を楽しませる余裕なんてないはずです。犯罪者になるくらいなら、偽善者のほうがマシですが、私は薄っぺらい人が好きではありません。

2.夢や希望を語る前に、まずは、お金を稼ぐべき
金の余裕は心の余裕に繋がります。お金がないと、結局のところ、何もできませんよね。お金なんて要らない、という人がいますが、まずはお金を稼ぐべきです。お金があっても幸せになれるかは分からないですが、お金は不幸を追い払ってくれます。

3.時間は有限なので、時間の価値を知るべき
何事も、後回しにするのではなく、前倒しにすべきです。常に、そこそこ余裕のある状態にしておけば、不測の事態にも対応できるはずです。今を生きる、のが大事です。過去を生きる、明日を生きる、は意味がないと思います。今、頑張れば、明日は最悪でも曇り、運が良ければ晴れるでしょう。でも、今、頑張らないと、明日はだいたい雨、運が良くても曇りなのです。

4.結果が全て
結果さえ出せば、誰も文句は言いません。どれだけ頑張っても、どれだけ時間を使っても、結果が出なければそれは無意味です。結果を出せる人間であれば、会社を辞めても、次の転職先が見つかることでしょう。また、結果が出せるのであれば、私のように起業という選択肢もありなんじゃないでしょうか。

 ぜひ、これらを頭の片隅に置いて、頑張ってみてください。

掲載:2018年3月