井上 朋子 氏
- 台象股份有限公司(象印台湾)
- 商品處(商品部)・副総経理(副社長)
- 井上 朋子 氏
- 1996年
英語はあくまで意思疎通のための道具!自分が相手に何を伝えたいのかが大切です。
高校時代から海外留学には憧れていました。でも、当時は単位交換制度などの留学制度が整っている高校がほとんどありませんでしたので、卒業に一年長くかかってしまうのがごく一般的でした。だから、大学に入ったら絶対に留学しようと思い、留学先の選択肢が一番多かった関西外国語大学・英米語学科に決めました。
一回生の後期から張り切って留学生別科に入ったものの、当時取ったクラスのうち、1つの受講生はたったの6名!中でも日本人は私を入れて二人だけで、しかも、もう一人は確か3回生か4回生だったと思います。そんな状況でしたから、とにかく必死に遅れを取らないように頑張って、眠い目をこすりながらペーパーを仕上げたのを今でも覚えています。その甲斐もあって、2回生からは念願の留学候補生になることができました。でも、派遣先が豪州(La Trobe)に決まったので、留学開始はアメリカ組より半期遅く、結局3回生からの派遣となってしまいました。だから、別科を3期連続して取ってからの出発となったのですが、これが後からの現地での勉強でとても助かりました。当然のように英語で勉強をしてきた現地の学生たちの中で、私も同じようにやっていける力が付いていたのです。何事も先に準備しておく事が大切なんだということを、その時、実感しました。この時の経験から、私の座右の銘は"Better prepared"(≒備えあれば憂いなし)となりました。
大学では、とにかく英語を道具として「使いこなす」鍛錬を存分にしました。例えば、英語を使って意思疎通を図る、資料を読む(本やネット等)、自分の考えを書いて説得する(英語論文等)、そして教える(英語の教員免許取得)、といった風に。でも、英語を極めることにポイントは置きませんでした。それが、今現在の中国語の上達にも繋がっているんだと思います。言語はあくまでも道具。自分が何を相手に伝えたいのかが大切なんだと私は思います。
一回生の後期から張り切って留学生別科に入ったものの、当時取ったクラスのうち、1つの受講生はたったの6名!中でも日本人は私を入れて二人だけで、しかも、もう一人は確か3回生か4回生だったと思います。そんな状況でしたから、とにかく必死に遅れを取らないように頑張って、眠い目をこすりながらペーパーを仕上げたのを今でも覚えています。その甲斐もあって、2回生からは念願の留学候補生になることができました。でも、派遣先が豪州(La Trobe)に決まったので、留学開始はアメリカ組より半期遅く、結局3回生からの派遣となってしまいました。だから、別科を3期連続して取ってからの出発となったのですが、これが後からの現地での勉強でとても助かりました。当然のように英語で勉強をしてきた現地の学生たちの中で、私も同じようにやっていける力が付いていたのです。何事も先に準備しておく事が大切なんだということを、その時、実感しました。この時の経験から、私の座右の銘は"Better prepared"(≒備えあれば憂いなし)となりました。
大学では、とにかく英語を道具として「使いこなす」鍛錬を存分にしました。例えば、英語を使って意思疎通を図る、資料を読む(本やネット等)、自分の考えを書いて説得する(英語論文等)、そして教える(英語の教員免許取得)、といった風に。でも、英語を極めることにポイントは置きませんでした。それが、今現在の中国語の上達にも繋がっているんだと思います。言語はあくまでも道具。自分が何を相手に伝えたいのかが大切なんだと私は思います。
アジアで働きたい!その念願が叶って毎日充実しています。
大学卒業後は海外、中でも特に活力のあるアジアで働きたい、と思って就職活動しました。その念願が叶って、入社後半年間の研修期間を経てシンガポールに赴任が決まりました。毎日希望に燃えて働いていたんですが、一年半ほど経ったある時、日本の本社が会社更生法を申請して半ば倒産する事態になり、シンガポール拠点も閉鎖することになりました。もう日本に戻ろうかな、と思っていた時、元の同僚からスピンアウトの提案を受けることになりました。そこで、自分はまだ若いので失うものはないと思い、一部出資をして会社を共同設立しました。ヨチヨチ歩きながらも順調に推移していたのですが、母の他界等の出来事があって、自分をリセットするために日本に帰国しました。
そうこうしているうちに、現在の勤め先である象印マホービン株式会社を人材紹介会社経由で紹介されました。自宅から職場まで車で約15~30分くらいの所にあり、海外駐在の知識も活かせるのではないかと思ったので、入社することに決めました(2000年12月)。そして2009年2月、創業以来初の女性駐在員として、台湾拠点である台象股份有限公司(象印台湾)に赴任することになりました。
象印台湾は現在、正社員、アルバイトを合わせて170名(駐在員3名)、台湾市場で象印製品の販売とアフターサービスを提供しています。その中で私は商品部を任されており、現場のニーズに合う商品を作るように日本の商品開発関連部署とやり取りをしたり、商品の導入に関するサポートとして販促物を作成したり、社内や販売店のスタッフに対する商品知識や販売の研修を実施したりといったさまざまな業務を担い、毎日がめまぐるしく過ぎていきます。でも、この仕事にとてもやりがいを感じていますし、非常に充実した日々を過ごしています。
ただ、海外駐在をしていると、昼夜や平日・休日を問わず対応しなければならない状況が多々あります。だから、自分自身で時間管理や健康管理を行うことが非常に大切だと思っています。海外出張も月1回程度のペースで行きますので、急遽熱が出たりするといろいろな所に迷惑をかけてしまいます。実は以前に一度、出張前夜に39度くらい発熱したことがありました。出張当日に熱は下がったんですが、ちょうどH1N1インフルエンザが流行しだ時期と重なっていたので審査も厳しく、結局、出張を取りやめなくてはいけなくなりました。それ以降、無理をしないように心がけています。
そうこうしているうちに、現在の勤め先である象印マホービン株式会社を人材紹介会社経由で紹介されました。自宅から職場まで車で約15~30分くらいの所にあり、海外駐在の知識も活かせるのではないかと思ったので、入社することに決めました(2000年12月)。そして2009年2月、創業以来初の女性駐在員として、台湾拠点である台象股份有限公司(象印台湾)に赴任することになりました。
象印台湾は現在、正社員、アルバイトを合わせて170名(駐在員3名)、台湾市場で象印製品の販売とアフターサービスを提供しています。その中で私は商品部を任されており、現場のニーズに合う商品を作るように日本の商品開発関連部署とやり取りをしたり、商品の導入に関するサポートとして販促物を作成したり、社内や販売店のスタッフに対する商品知識や販売の研修を実施したりといったさまざまな業務を担い、毎日がめまぐるしく過ぎていきます。でも、この仕事にとてもやりがいを感じていますし、非常に充実した日々を過ごしています。
ただ、海外駐在をしていると、昼夜や平日・休日を問わず対応しなければならない状況が多々あります。だから、自分自身で時間管理や健康管理を行うことが非常に大切だと思っています。海外出張も月1回程度のペースで行きますので、急遽熱が出たりするといろいろな所に迷惑をかけてしまいます。実は以前に一度、出張前夜に39度くらい発熱したことがありました。出張当日に熱は下がったんですが、ちょうどH1N1インフルエンザが流行しだ時期と重なっていたので審査も厳しく、結局、出張を取りやめなくてはいけなくなりました。それ以降、無理をしないように心がけています。
外大でのチャンスを生かし、世界へと羽ばたいてください。
台湾に駐在してから、2010年12月で1年10ヶ月目となります。今は中国語にも慣れ、仕事上でほとんど不自由しなくなりました。半年したら生活上は問題ないだろうと思っていましたが、本当に日常会話は問題ありませんでした。これも、英語をほぼマスターして、どんな風にすれば新言語を習得出来るかが理解できていたからだと思います。ヨーロッパ人が何ヶ国語も流暢に話せるのと同じですね。私自身も、日・英・中のトライリンガル以外に(もっとも中国語はまだまだ発展途上ですが)、カタコトなら韓国語、スペイン語、さらに辞書片手ならもう少し言語が増えるんじゃないかと思います。今思うと、学生時代に留学したり、留学先で知り合った他の国から来た留学生と交流しながら彼らの言葉や習慣や考え方を学ぶ機会があったからだと感謝しています。
これからは中国語をもっと上達させ、自己の更なる向上に努めつつ、台象の業績UPに貢献したいと思っています。
今では台湾は、私にとってはシンガポールと並んで第二の国となりました。台湾での仕事も生活も、本当に自分に合っていると思うので、骨を埋める覚悟で長く頑張ろうとよく言っています。すると、そんな時は決まって皆から「それなら、いっその事こっちで結婚したら?」と言われます。(笑)
外大に入って、将来は外国語を使って仕事をしたい、そう思う人はたくさんいると思います。実際、外大にはチャンスが沢山あります。ぜひ、そのチャンスを生かして、世界に多くの後輩が羽ばたいて欲しいですね。
Boys (and Girls), Be Ambitious!!
掲載:2010年12月
これからは中国語をもっと上達させ、自己の更なる向上に努めつつ、台象の業績UPに貢献したいと思っています。
今では台湾は、私にとってはシンガポールと並んで第二の国となりました。台湾での仕事も生活も、本当に自分に合っていると思うので、骨を埋める覚悟で長く頑張ろうとよく言っています。すると、そんな時は決まって皆から「それなら、いっその事こっちで結婚したら?」と言われます。(笑)
外大に入って、将来は外国語を使って仕事をしたい、そう思う人はたくさんいると思います。実際、外大にはチャンスが沢山あります。ぜひ、そのチャンスを生かして、世界に多くの後輩が羽ばたいて欲しいですね。
Boys (and Girls), Be Ambitious!!
掲載:2010年12月