細川 幸治

  • ORIX Corporation USA(米国オリックス社)
  • 財務部
  • 細川 幸治
  • 1983年 外国語学部 英米語学科 卒業
細川 幸治

大学生活はどのような感じでしたか?

学生時代は、ESSに属し、まさしく英語漬けの毎日でした。とにかく英語、語学が好きで英語の教師になる事が自分の夢でした。ESSでは、英語のみならず、組織の中での人間関係、先輩、同輩、後輩との付き合いの中で自分をどう処していけばいいのかを学びました。中でも、クラブの方向性、クラブで目指すべきもの、具体的なクラブ活動の内容等、同輩後輩を始め、緒先輩方と夜を徹して語り合った事は忘れません。
ESSの仲間たちと
ESSの仲間たちと

学生時代の経験で、今の自分に役立っているな、と感じることはありますか?

当時の関西外大の校風も手伝ってESSで活動していた時には、本当に周りの人々に支えられ、結構、自由奔放に自分の信じることをやらせて頂いたと思ってます。社会人になりアメリカで生活、仕事をしていく中で自分自身の信じる価値判断の基準並びに標準を持つことの大切さを知ったのは大学時代のESSで培われたものだと思っています。

卒業後は、夢であった教師の道に進まれたそうですが、現在の職業に就こうと思ったのはなぜですか?

確かに、卒業後は一度は豊中にある現在の駿台観光&外語学校で教職員として勤務しました。しかし、在学中はとにかく英語一色で、その他の分野をあまり学ぼうとしてこなかったこともあり、未知の世界に自分を挑戦させてみたいと思いはじめるようになりました。そこで、アリゾナ州にあるサンダーバードビジネススクールへの留学を決めたのですが、金融ビジネスの世界で自分の可能性を見出してみたいという思いが次第に強くなり、シカゴにあるコンチネンタル銀行(後にBank of Americaに併合)へと入行したのが最初でした。

未知の世界への挑戦ということで、留学時にはご苦労もあったのではないですか?

私がアメリカのビジネススクールに留学(遊学?)した時は、ある程度、英語が喋れるレベルでしたので日常会話には不自由しなかったのですが、文化的な壁を超えるのにはかなりの時間を有したことを覚えています。簡単な例で言えば、知り合いの家に招かれた折に“Would you like to have a cup of coffee?”と聞かれ“No”が言えなかった為に、勧められるままコーヒーを4杯も飲んだことを想い出します(笑)。

金融ビジネスの世界に入ってからのご活躍と、今後のビジョンについてお聞かせください。

シカゴのコンチネンタル銀行に入行後、しばらくしてニューヨークに移動。その後、オリックスアメリカに入社して短期間働きましたが、縁あってシカゴにあったBankOne(後にJP Morganとなる)に入行し、日系企業の営業に従事することになります。JP Morgan時代には、M&A部隊とともに大きな買収案件を組成しました。その案件を成立させていく過程において、チームが一つの目標に向けて顧客と一体となって新しい価値を創り出す醍醐味を味わえたのは、今でも懐かしい思い出です。そして、Morgan StanleyでFinancial Advisorとして資産運用の業務に従事した後、オリックスアメリカ社に再入社して現在に至ります。

今後は、今まで培ってきた知見、経験、人脈、知識を駆使し日本社会に役立てたいと思っています。具体的な計画を何年か後に実際に実行に移そうと考えています。

最後に、学生の皆さんにメッセージをお願いします。

私は、奇しくも語学の分野を目指していたのですが、気づいたら30年以上アメリカに住んでアメリカの金融機関でキャリアの殆どを費やしてしまいました。後悔は全くしていませんが、もし、後輩の方々が全く違った分野で、しかも、異国の地で仕事をしようとする場合、以下の事を念頭に置かれれば私のような回り道をしなくてもいいのではないでしょうか。

1.将来の大きな夢を持つ、
2.その夢の実現に向け具体的な目標を掲げる、
3.その分野で既に活躍されておられる方々に話を聞く、
4.色々な経験を積むことで自分自身に自信をつける、
5.周囲の人々に常に感謝の気持ちを忘れないで、
6.健康に留意し、無駄な精神的悩みを抱えず、
7.絶えず自分を向上させるべく努力を惜しまない。

最後まで読んで下さり有難うございました。
もし、私の略歴に興味があったり、私で相談相手になれる事がありましたら遠慮なくご連絡下さい。

掲載:2021年10月

※細川さんへのメッセージは同窓会事務局まで
info@kansaigaidai-dousou.jp
(@を半角に変えてご送信ください)