四津谷 裕昭

  • 富山テレビ放送株式会社
  • 編成局長兼編成部長
  • 四津谷 裕昭
  • 1993年 外国語学部 英米語学科 卒業
四津谷 裕昭

色々な人に支えてもらっているから自分がいる

在学中は体育会陸上競技部に所属。専門種目は400mハードルと10種競技でした。当時は良く山田池までジョギングをしましたが、山田池の公園って、今でもまだあるのでしょうか・・・。

2回生の後半からは、大会の運営を行う関西学生陸上競技連盟に身を置き、陸上競技大会を運営する立場からたくさんの事を学びました。学連の活動は、大会が近づくと準備が忙しくなるため、競技への参加はほぼあきらめなくてはなりません。そのため、陸上部でも誰を派遣するのかでかなり揉めました。「入賞しない人、故障している人を出せばよい」「学連するぐらいなら退部する」といったマイナスな意見が飛び交うのに我慢できなくなり、自ら手を上げました。しかし、いざ学連で働いてみると、今まで見えていなかったものがたくさん見えてきました。競技は当たり前に進んでいるように見えますが、競技場の予約や審判の依頼、マスコミ対応やパンフ制作、ゴミの処理に至るまで、すべて誰かが対応をしてくれていた、ということには考えが及んでいませんでした。学連の経験を通じて初めて、誰かのお蔭で走らせてもらっていたことに気が付くことができました。学連員は選手より早く会場入りし、機材を準備、審判に頭を下げ、暑い中、競技場を走り回らなくてはなりません。選手よりも陸上競技を愛していないと出来ない仕事だったと思います。

関西では、京都の丹後半島を回る「関西学生駅伝」を運営していましたが、関東学連の応援で「箱根駅伝」に行ったときは、その規模の大きさにも驚かされました。「色々な人に支えてもらっているから自分がいる」というこの気づきは、今も心に刻んでいる一生の宝物です。

力試しのつもりで受験したマスコミ業界

卒業後は、富山テレビ放送に入社しましたが、実は、マスコミに入ろうとは思っていませんでした。4回生での就職活動は日本航空を第一希望とし、最終面接まで進んでいました。当時、八重洲の日航本社に行き、役員面接を受けましたが、残念ながら希望は叶えられませんでした。留年を決意し、翌年、もう一度挑戦してみようと思って秋に帰省したのですが、そのタイミングで偶然富山テレビの社会人募集のCMを目にし、年齢条件もぎりぎり合っていたので自分を試すつもりで受験しました。筆記の後の面接で「何で内定を持たず、社会人枠に来たの?」と問われ、「入社するつもりはなく、力試しです」と答え、「失礼だ」と面接官を怒らせてしまいました。しかし、その翌日、総務部長に呼ばれ、「求人に対して応募した責任を果たしなさい。内定を出すからハンコを押しなさい」と言われ、入社したという感じです。でも、その後はマスコミの持つ影響力、テレビ局だから出来る地域貢献にも魅せられ、どんどんこの仕事にのめり込んでいきました。今はこの仕事に就けて本当に良かったと感じています。

入社後は研修期間を経て、報道部で3年間、遊軍、スポーツ、富山市政等を担当しました。その後、東京支社でフジテレビとの調整役となる編成業務部で3年、東京支社営業部で電通等を6年間担当しました。東京で働くと、富山県というマーケットの小ささを思い知らされましたが、全国から集まってきているローカル局の営業マンと交流関係を深めることが出来、人生で最も濃密な時間を過ごしました。その後、富山本社に異動になり、本社営業部で6年、その後、本社事業部で6年、コンサートやゴルフトーナメントのスポーツイベント、輸入車ショウなど販促事業部にも携わりました。そして、その後、20年ぶりとなる報道制作に部長として異動し、突然の起用で1年間、ニュースキャスターも務めました。新型コロナが猛威を振るう大変な時期でしたが、県民の命と財産を守る報道を念頭に、現場の記者たちと一緒に日々闘っていました。そして、2021年6月、新たにできた編成局の局長を拝命し、番組企画や視聴率と向き合う日々を送っています。

若かった事業マンの無謀な要望

事業部時代のエピソードになりますが、私は当時まだ無名だったジェネリック医薬品などを製造する「日医工」主催のゴルフトーナメントを担当していました。ある日、日医工側から、トーナメントの前夜祭で葉加瀬太郎を呼びたい、と依頼があり、葉加瀬太郎の事務所に直接連絡しました。事務所の社長からは「葉加瀬は今ロンドンに住んでいる。1企業の営業に引き戻すのか?普段、葉加瀬は営業はしない、莫大な予算がかかるが、大丈夫か?」と言われ、金額も分からないのに「大丈夫だと思います。これから国策で伸びる会社です。葉加瀬さんのスポンサーにもなり得ます。検討してください。」と依頼しました。その時は周りも見えず本当に熱くなっていたんだと思います。結果的に、葉加瀬さんは日医工の前夜祭にゲストで参加し、その後、CMにも出演、「日医工」の為に「WITH ONE WISH」という曲も作曲しました。若かった事業マンの無謀な要望を聞いてくれた当時の社長に心から感謝しています。「WITH ONE WISH」は東日本大震災の時、「希望を力に」のキャッチフレーズとともに、全国CMにもなっていました。もしよければ聞いてみてください。

次世代のテレビ局の在り方を考える

現在、富山県のフジテレビ系の富山テレビ放送で番組編成や広報、考査などを担当する部署で働いています。ローカル局は自社で制作する部分とフジテレビから同時ネットで放送する部分があり、その番組編成を行っています。テレビ局にとっては商品ともいえる視聴率を稼ぎだす部署で、報道制作、営業等幅広い知識と経験が求められ大変やりがいのある部署です。また、地上波テレビは昨今、「テレビ離れ」が加速し、厳しい状況になってきてはいますが、県域でニュース報道が果たす役割は大きく、次世代のテレビ局の在り方を考える重責を担っていると考えています。

今、すべての業界で技術革新が進み、これまでの価値観、システムが通用しなくなってきています。テレビ業界も免許事業として守られてきた業界でしたが、誰もが容易に高品質の映像撮影・編集が出来、ネットで全世界に発信できるようになりました。今では、限られた人だけではなく、一般の方も発信する時代になりました。ローカルテレビ局は地域に根差し、良識ある高品質のソフトを作り続けること、報道により県民の生活、命と財産を守っていく事が使命です。誰よりも富山の事を誇りに思い、発信していきたいと思います。「富山テレビ」の存在を最大化する為に、ベストを尽くしていきます。

メディア業界へのチャレンジを待っています

メディアの仕事は本当にやりがいのある仕事です。自分の意見や判断が正しいか、常に突き付けられます。また、常に学び、見識を磨く姿勢が無いと、すぐに時代に遅れてしまいます。メディア業界の「メディア」自体が何を指すか、意味も変わってきていると思いますが、ローカルテレビ局は新しいビジネスモデルを模索しながら、地域の繁栄の為に役立つ存在であり続けたいと思います。志のある方は是非、地元のローカルテレビ局も就職先の一つとして考えてください。皆さんのチャレンジ、お待ちしております!

掲載:2022年1月