石原 洋治 氏
- 丸種株式会社
- 専務取締役
- 石原 洋治 氏
- 1989年 外国語学部 英米語学科 卒業
この時代、地味でスローではあるが「世界の食」を支える仕事
祖父が起業した丸種株式会社で、野菜の品種開発や育成、海外への輸出販売に携わっています。バブル期に育った私にとって農業はあまり身近ではなかったため、まさか自分が野菜の源である種(タネ)の仕事に就くとは思いもしませんでした。そんな私が心変わりを起こすきっかけになったのが、先に会社に入り、海外で活躍していた兄の姿です。自分もさまざまな国の人たちと一緒に仕事をしてみたい、シンプルですが強いこの思いが祖父の会社へと私を導いたのです。野菜の種が世界の人々の食、つまり「生活の源泉」になっていると感じはじめたのは、入社して20年ほど経ってからでしょうか。コロナ禍によって世界中のほとんどの産業がストップする中、野菜の種子の需要は減るどころか増加したのです。このことが、野菜の種子の育成開発という仕事の大切さを改めて教えてくれました。世界中の人々の健康、そして食の楽しみに貢献できていると考えると、今の仕事を誇りに思います。この会社を創った今は亡き祖父と、その後を引き継いだ父には感謝してもしきれません。
スリランカでの出会いが教えてくれたこと
仕事での忘れられない出来事があります。それは、入社して間もない頃にひとりで行った海外出張中のことでした。行き先はスリランカのヌワラエリアという標高1,900メートルにある野菜の大産地。現地の空港に到着してから休憩なしですぐ車に乗り込み、約7時間かけてたどり着きました。当時のスリランカはまだ道路の舗装状態が大変悪く、高地へのドライブはヘアピンカーブの連続、疲れと緊張もあったせいか車酔いしてしまい、道中の記憶はほとんど飛んでしまいました。何時間経過したか分からないような中、「到着したよ」と言われ、意識朦朧としながら車外へ出ると、そこで目にしたのは青々とした葉が風でなびく一面のニンジン畑と、眼下に拡がる夕焼けに染まった大雲海。その瞬間に車酔いは一気に消え去り、あまりの感動に涙したのを憶えています。
ニンジン畑ではちょうど農家の人たちが収穫作業をしていました。彼らに話しかけると返ってきた言葉は、「お前は日本の丸種か?」、「お前の会社のニンジンは最高や!」、「青果商人も高値で買ってくれて、お陰で儲けさせてもらっているよ!」などの嬉しい言葉。到着するやいなや、歓迎とお褒めの言葉をかけてもらえたのです。その後数件の農家のご自宅に招待され、家庭料理と強烈なお酒で歓待を受けました。ちっぽけなニンジンの種でこんなに多くの農家、そしてその家族みんなを笑顔にできる。「タネ」の持つ力を再認識させてくれる感動的な経験でした。しかし、やっと⾧距離ドライブの車酔いがさめたと思いきや、激辛のスリランカ料理と強いお酒で泥酔してしまい違う涙が出ました。(笑)
ニンジン畑ではちょうど農家の人たちが収穫作業をしていました。彼らに話しかけると返ってきた言葉は、「お前は日本の丸種か?」、「お前の会社のニンジンは最高や!」、「青果商人も高値で買ってくれて、お陰で儲けさせてもらっているよ!」などの嬉しい言葉。到着するやいなや、歓迎とお褒めの言葉をかけてもらえたのです。その後数件の農家のご自宅に招待され、家庭料理と強烈なお酒で歓待を受けました。ちっぽけなニンジンの種でこんなに多くの農家、そしてその家族みんなを笑顔にできる。「タネ」の持つ力を再認識させてくれる感動的な経験でした。しかし、やっと⾧距離ドライブの車酔いがさめたと思いきや、激辛のスリランカ料理と強いお酒で泥酔してしまい違う涙が出ました。(笑)

今の自分を支えてくれる、スキー部での経験と縁
4年間の大学生活は、スキー部一色だったと言っても過言ではありません。勉強そっちのけでスキー漬けの日々を送っていました。思い出されるのは、とにかく厳しく、苦しく、しんどいことばかりです。上下関係の厳しさ、大会でなかなか結果が出せない悔しさ、それでも逃げずに最後までやり抜いた達成感。スキー部で学んだあらゆることが、今の自分を支えてくれる大きな力になっています。中でも特に印象に残っているのは、先輩方との関わりです。時には理不尽なことを言ってくる怖い人もいましたがしかし、その厳しさの中には、後輩を成⾧させようとする思いがあったのだと今ならわかります。先輩から叩き込まれた忍耐力や責任感は、社会に出てからも私にとって心強い武器になっています。スキー部で過ごした時間は、技術面はもちろんのこと、人としての強さや諦めない気持ちも育ててくれました。あの4年間のおかげで、どんな困難にも立ち向かえる自信があります。スキー部での経験は単なる部活動の枠を超え、私の人生の軸となっています。

ここ数年、ルーティンとしてランニングを日課にし、マラソン大会にも定期的に出場しています。身体を動かすことが心のリフレッシュになり、仕事への集中力の向上にもつながるため、大事にしている習慣です。スキー部時代に鍛えられた持久力や精神力は、ここでも活きていると感じます。
そしてなんと、学生時代にともに汗と涙を流した村上先輩が、現在丸種の役員として活躍しています。彼は会社にとっても、私自身にとっても非常に大きな存在です。スキー部時代から現在に至るまで、人生のほとんどをともに歩んでいることに改めて関西外大での縁の強さを実感しています。
そしてなんと、学生時代にともに汗と涙を流した村上先輩が、現在丸種の役員として活躍しています。彼は会社にとっても、私自身にとっても非常に大きな存在です。スキー部時代から現在に至るまで、人生のほとんどをともに歩んでいることに改めて関西外大での縁の強さを実感しています。
基本に立ち返る丸種スタンダード
若い社員は10代後半からベテランの社員は80代まで、幅広い年代の社員がいる丸種。それぞれの役職や立場によって意見がかみ合わないのは当然です。そのような中で全員が共通してやるべきこととして掲げているのは「挨拶」です。挨拶なんて当たり前のことのように思うかもしれません。しかし、今世の中で発生している人間同士の諸問題はほぼすべて「当たり前のことができていない」ことに起因しています。そこで私たちが取り入れたのが、HP(Human Potential 人の可能性)評価という制度。「挨拶」、「協調」、「謙虚」、「規律」、「発信」、「自己啓発」の6つの項目で、社⾧からパートさんまですべての社員を評価します。こんな当たり前の単純評価を徹底して行っていたので当初は反対意見もあり、中には納得いかずに退職する者もいました。この制度を始めて約8年、社内の風通しはとても良くなったと感じます。毎年新入社員が入ってきてもこれが丸種スタンダードだと理解してくれるので、スタートが大変やりやすくなりました。また、お客様と接するときもこのフィロソフィーをベースに持っているからこそ関係性をより深めることができていると感じます。商品とは関係なく経費も一切かからない当たり前の仕組みが、商売に大きく貢献してくれています。
美味しさを追求する野菜づくり
美味しい野菜はどの国に行っても人気があり需要は高いものです。しかし、残念ながら美味しい野菜ほど病気に弱く大量生産が困難なのです。自然環境に大きく左右されるからこその弱点ですね。今後、万が一遺伝子組み替え野菜の生産が認められれば、美味しくて収量性も高い商品が登場するかもしれませんが、今はまだ美味しさと収量性の両立は不可能に近いです。そこで私たちは、とことん「食味」にこだわった商品開発に注力したいと考えています。食味にこだわり過ぎて効率の悪い仕事になり、栽培しにくい品種だと思われるかもしれません。しかし多数の評価は得られなくとも、少数の食味最優先の農家さんには関心を持っていただける「こだわり野菜」を開発する。それこそが我々の目指すべき方向です。食は楽しむためにあるからこそたとえ小さくてもニーズには応えたいと思います。

後輩たちへのメッセージ
社会人になると、学生時代とは違う多くの壁にぶつかることがあるでしょう。思い通りにいかないこと、理不尽に感じること、乗り越えられないと思うような試練もあるかもしれません。しかし、大切なのは「逃げずにやり抜くこと」です。私自身はスキー部での経験を通して、困難を乗り越えるための自信を身につけることができました。仕事というものは、仲間や上司、取引先との関係の中で進みます。ぜひ人とのつながりを大切にし、誠実に努力を続けてください。能力やスキルより、むしろこちらの方が重要だと⾧年仕事をしてきて強く感じます。小さな積み重ねが、いずれ大きな成⾧につながるのではないでしょうか。
最後になりましたが、多くのことを学ばせていただいた先輩方や恩師の皆さまに、この場をお借りして心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
最後になりましたが、多くのことを学ばせていただいた先輩方や恩師の皆さまに、この場をお借りして心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。